2020東京オープンボディビル大会 中止

コロナウイルスの流行で東京オープンボディビル大会が中止に追い込まれた。5月3日は、開催日であった。4月1日に中止が決まる、大会に向けて順調に減量中だっただけにショックは大きかった。更に8日からは、国の緊急事態宣言を受けてゴールドジムは閉鎖され、筋トレをする環境そのものが奪われてしまった。

昨今のウイルス禍を見ていると、大会中止はやむを得ない、と言うより当然の事だったと思う。とはいえ、大会に出場するために、1年をかけて努力してきただけに、残念を通り越して悔しいという思いが強い。勿論筋トレ自身は、体力の維持増進が目的で、ボディビル大会のためにしている訳ではないが、着実に日々のトレーニングを積み重ね、今年に入ってからは減量に心を配って、順調に体重を落としてきて、日頃の筋トレの成果を、大会と言う場で試したいと思っていたので悔しいのである。

若い方には確実に来年があり、来年の大会を頑張ろうと言えるが、68歳の私には、来年は確実に存在しない。はっきりと言えば生きているかどうかは分からないのである。ダンベルセットを買ってトレーニングはしているが、若い人のように、筋トレを続け次のチャンスを待つという気持ちには、素早く切り替わらない。ジムも閉鎖され、思うようにトレーニングできないし、もうどうでもいいかなとさえ思う。減量はコロナウイルスへの免疫力が落ちるというので、スパッとやめてしまった。大会がなくなった上、減量を続け、コロナウイルスに感染し、いきなり重篤になって、あの世行きは勘弁して欲しい。57キロまで体重を落としたが、減量をやめたら62キロまで太ってしまった。まあ減量はいつでもできる。三大栄養素をしっかり摂取し、とりあえずコロナ禍をやり過ごすしかないと思う。

ボディビル大会出場を目指して、大きな目標をもって頑張ってきただけに、糸の切れた凧状態ではあるが、とにかく生き延びて、筋トレ環境が戻ってきた段階で、冷静に次にどうするか考えてみたいと思う。


「夏の甲子園中止、絶対反対!工夫次第で開催できる」

今年の夏に開催される予定だった第102回夏の甲子園大会の中止が決まった。コロナウイルスの流行下にあって、今回の決断は苦渋の決断だとして評価される方が多いかもしれないが、私は納得できない。単に球児が可哀そうだという情で言うのではない。ここまで日本人が自重して、今回のコロナウイルスと戦い、ようやく新しい患者の数が少なくなり、近畿の、大阪、兵庫、京都の緊急事態宣言が解除され、残るは東京を含めた関東各県、北海道となった現状で、本当に開催できない状況なのかという疑問である。夏の甲子園を目指す県大会は、沖縄は早いが、他の県では七月になって開催され、7月下旬に各県の代表校が出そろう。後40日以上も県大会まであるのだ。この40日の間に、関東の緊急事態宣言が終わるだろう。そうすれば日常生活を取り戻しているはずだ。開催に何の問題があるというのだ。

二次、三次感染が起きて、高校球児が感染する恐れを、中止の理由にしているが、出場校の甲子園の宿舎は、昔の様な雑魚寝の旅館ではなく、一人一部屋のビジネスホテルが多いから、感染する恐れは高くない。感染を恐れるのではなくて、感染させないための方策を取りさえすれば、高校球児をコロナウイルスから守る事は可能である。1チームは、監督、部長の2人、帯同する選手は20人に限定し、ぎりぎりの人数に絞り、食事はそれぞれが弁当を自分の部屋で行い、選手への訓示などはリモートワークでパソコンの画面で行えばいい。甲子園までは、電車で移動する。通勤客は、コロナウイルス禍でも電車で通勤している。試合では、選手は全員マスクをして、ボールは必ず殺菌して使う。主審は声を出さないで、ストライクボールの判定を行う。応援は、1チーム100人に限定してアルプス席に分散させて座らせ、声の応援は禁止にする。試合は無観客で行う。他に工夫することがあれば、加えればいい。今回の中止の判断、要はコロナ禍で高校生の健康を守るという大義名分の前に、主催者側が、努力を忘れ、もし球児たちに感染者が出た場合に、責任を取らなければならないから、腰が引けたとしか思えないのだ。

戦争が終わった翌年の昭和21年の夏の全国大会が、食べる物もなく、グラブ、ボール、バットもなかった時代でも、野球関係者は、甲子園で球児たちを戦わせたいと、必死の思いで大会を開催したではないか。甲子園球場は,GHQに接収され利用できなかったが、全国大会は、阪急西宮休場で開催する事が出来た。私は、コロナウイルス禍、自粛が叫ばれている中で、何とか知恵を出し、工夫をし、センバツ高校野球が中止になり、夏までもなくなるのは完全に努力不足だと思う。私は夏の甲子園や、地方大会で、高校野球の中継をしたが、各地で、高校野球のOBから、戦争に負けた翌年昭和21年の夏の全国大会が開催された時、当時は中等野球と言っていたが、野球関係者が戦争で中断された夏の甲子園を復活させたい、何とか全国大会を開催し、選手に経験させたいと努力して、そのお陰で大会に出場でき、本当に嬉しかった。食べる物もなく、寝るところも粗末で、野球道具も満足ではなかったが、本当は甲子園で戦痛かったが、全国大会に出場出来て良かった、一生の思い出になったし、人生の励みになったと、何人からも同じような感謝の言葉を聞いた。知恵を出し合えば、工夫次第でコロナ禍でも甲子園大会が出来るはずだ。日本人の底力を見せられる絶好のチャンスだと思う。

大会を無観客で行うと、数億円の赤字が出ると、新聞に書かれていたが、クラウドファンディングで、資金を募集すれば、高校野球ファンはきっと応援するはずだ。中止決定の再考を強く求めたいと思う。

2019東京オープンボディビル大会まで200日 日記 

(2018.10.16 スタート) 

鈴木桂一郎アナウンサー,チャレンジ!!

2019年の東京オープンボディビル大会の日程が発表され、5月4日、土曜日、みどり日に開催される事が決まった。会場は、いつもの北トピアである。今年この大会に初出場し、60歳以上の部で、4位に入賞する事ができた。伊勢コーチに、去年の12月から、わずか五カ月の間、パーソナルトレーニングを受けただけだったが、伊勢さんの素晴しい指導があり、初出場、初入賞という好成績を上げる事ができた。来年は、優勝を目指したいと思う。

 私の年齢は67歳だが、前期高齢者でも、筋トレをすると、筋肉が発達する事を自分の体で確かめることができた。まさに体験と言う言葉がぴったりである。67歳と言う現実の年齢の中で、どこまで達成できるか分からないが、67歳で一番かっこいい身体を目指して、これまでの経験を活かし、200日後になった大会で優勝する事を目標にして、筋トレを継続したいと思う。

 毎日のトレーニングについての記録、ボディビルへの考え、減量についてなど、日々考えた事をこの日記に書いていきたいと思う。

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2018 東京オープンボディビル大会まで100日日記と放談

鈴木桂一郎アナウンサー 66歳の挑戦

東京オープンボディビル大会出場まで100日日記

別名: めざせ! 6 pack coming soon 日記

平成30年(2018) 1月26日 スタート

【はじめに】

 高校生で筋トレを初めて、途中、中休みもあったが、細々と続けてきて、今年で丁度50年になった。定年後は、筋トレを、思い切って出来る環境になった。  

長年の筋トレによる経験則で恐縮ではあるが、歳を取っても、不思議に筋肉は発達する事を発見した。大胸筋、三角筋、上腕二頭筋、広背筋、大腿四頭筋、あらゆる筋肉が、大学生の頃より、大きくなったのだ。筋肉に適切な負荷をかけると、年齢を超えて、筋肥大を起こす。老化は進んでいるのに、何故筋肥大を起こすのだろうか? 筋肉への知的好奇心が膨らんだ。

老化は進んでいるのに、筋肉は発達する。まさに筋肉マジックである。定年後本気になって筋トレを再開して1年半、多少の成果を得た。そこで、無謀ではあるが、今回初めてボディビルの大会に出場する事にした。勿論、一般の部ではない。5月6日に開催される東京オープンボディビル大会には、60歳以上の人が参加できる部門があるので、ここに参加することにしたのである。

大会まで100日となり、伊勢龍顕トレーナーに、指導を仰ぎ、大会を目指して、本気になってトレーニングする事にした。高齢者のトレーニングは、闇雲に高重量を扱う必要はないと、伊勢さんは言う。筋肉に、いかに効率よく、適切な刺激を与えられるかがポイントとなる。どこまで頑張れるか分からないが、大会までのトレーニング日記を書きたいと思う。ボディビル大会出場は、初経験である。私にとってはトレーニング記録として、そして高齢者の方で、ボディビル大会に出場したい方への、参考になればという思いから、日記を書く事にした。

平成30年5月6日日曜日に、東京北区王子にある北トピアで開催される東京オープンボディビル大会、60歳以上のクラスに出場することにした。

大会まで、100日となった。去年は、選手登録までしたのだが、風邪を引き、仕事に影響してはいけないと、出場を見送った経緯がある。今年は、この一年、東京オープンボディビル大会に出場する事を前提に、激しいトレーニングを積んできたので、今回は、何としても、大会に参加したいと思っていた。言わば、去年の雪辱戦である。

そもそも、いい歳をして何でボディビル大会なの? と思うだろう。私と筋肉トレーニングとの出会いは、50年前の高校生の時に遡る。クラスの友人に誘われて、野球部に入り、基礎体力で劣っていた私は、五反田にあったボディビルジムに通い、筋トレを始めた。リストを鍛えて、打ったボールの飛距離を伸ばそうと思ったのである。野球部の練習の後、ジムに通い、ベンチプレス、スクワット、デッドリフト、カールなどの基礎的な種目中心に、筋トレに励んだ。野球は、上手くなれなかったが、成長期だったのだろう、一年間で、胸囲が10cm、太腿が2センチ、上腕が1センチ太くなった。ひ弱で、虚弱体質だった私は、筋トレのお蔭で、人並みの丈夫な体を持てたのだ。学習院大学でも、ウェイトトレーニン愛好会に入り、筋トレを続けた。気が付いたら、人一倍頑強な体になっていた。NHKの就活の最終面接では、最後に、何か言っておきたい事はないですかと問われ、「体が丈夫なので、台風や地震などの災害の時には、真っ先に駆け付け、仕事します」、と話したら、運よくアナウンサーとして内定が出た。最初の約束だから、NHK在職中は、「いざ鎌倉」、の時のために、ジムに通い、激務に耐えられる身体を、常に用意した。勿論仕事の合間だから、一週に一度ジムに通う時もあれば、忙しい時には、月に一度しかジムに行けない時もあった。それでも、何とか定期的にジムに通い、体力の維持と向上に努めた。お蔭で、時にはデブと言われる事もあったが、固太りの頑丈な体を維持してきた。毎日、ジムに通えれば、もっと体をでかくできるし、ダイエットして脂肪を取り、決してデブとは言わせないのに、などと思いながら、本格的に筋トレができないまま、いつの間にか、定年を迎えてしまった。

 65歳でNHKを退職し、フリーのアナウンサーとなった私は、現在、夢だった筋トレ中心の生活を送っている。一年半、運動、食事、休養をきちっと取り、自分なりに筋トレに励んできた。しかし、いくら頑張って筋トレしても、思った程、見た目マッチョな体にはならなかった。66歳だから若い人とは違うよ、仕方がないと思うかも知れないが、筋トレの成果は、定年後1年半の筋トレで、着実に現れ、確かに筋肉は付いた。ただ筋肉が付いきているという実感はあっても、それ以上に脂肪も増えて、筋肉は脂肪に覆われて姿は現わさなかった。それなら、脂肪を落とそうと、減量を考え、去年はカロリー制限をして体重を落とした。しかし、脂肪も落ちたが、筋肉も合わせて落ち、結果として、皮膚がたるんで、皺が目立つ痩せた老人の体が残っただけだった。減量大失敗である。

去年の12月、来年の東京オープン大会は必ず出場し、雪辱を果たそうと思ったのだが、去年と同じ轍を踏みたくないと言う思いが強くなった。体重を落として、できれば脂肪だけ落として、筋肉を残す方法はないだろうか。更に、長年筋トレしていても、いわゆるパンプすると言う経験があまりなく、これは筋肉に有効な刺激が入っていない何よりの証拠でもあり、自分の筋トレの方法に、大きな疑問を持ち始めてもいた。

どこかに突破口がないか考えた末、ノウハウを持ったパーソナルトレーナーを探し、筋トレを基礎から教えてもらう事を考えた。筋トレの成果は出しつつ、筋肉は残しながら、脂肪だけ落とすという理想的な体重の落とし方はないかも含め、多角的に指導してもらう事を決意した。

では、誰に教えてもらうかだが、私は、原宿のゴールドジムで熱心に指導している伊勢龍顕コーチに、パーソナルトレーナーをお願いし、面倒を見てもらう事にした。ゴールドジムには、優秀なコーチが多く存在し、人選が難しかったが、パーソナルトレーナーとして教えてもらうなら、どんなコーチが良いのか、私の目線で選んだ。伊勢パーソナルトレーナーを選んだ基準は、こうだ。

1 朝から晩まで、昼飯の時間がないほど、一生懸命、手を抜かず教えている。甘えは許さず、いつも厳しいが、時には、笑顔もある。

2 教えを受けている側も、必死でトレーニングしている。

3 伊勢さんは、ボディビルやフィジークの大会で優秀な成績を残している現役選手であり、伊勢さんの体が、そのまま商品見本になっている。私が教えれば、こうした身体になれますよと、身体がアピールしている、見事な肉体の存在である。教えてもらえば、伊勢さんのような身体に成れるかもしれないと言う幻想を持つことが出来る。

4 伊勢さんにパーソナルトレーニングを願いしている人は、若い人ばかりでなく、中高年も多い。中高年にはケガをしないように、重さ重視ではなく、軽い重さで、筋肉にいかに効率よく刺激を与えるかを考えて、中高年向きのメニューを組んでいる。

と、以上の四つの観点から、伊勢コーチにパ-ソナルトレーナーをお願いする事にした。伊勢コーチには、素直に来年の5月6日の東京オープンに出場したい旨を伝えて、指導し 

てもらう事になった。

1月11日の初のパーソナルの日、裸になってくださいと言うので、鏡の前で裸になったが、伊勢コーチは、「胸の筋肉は多少ありますが」とまず誉めてから、私の身体をしげしげと見て、「他の筋肉ほとんどないですね」と、結んだ。正直すぎて、私は、がっくりとしたが、でも何とかしましょう。頑張りましょうと言ってくれた。伊勢コーチには、週に一度から二度のペースで、パーソナルをお願いしている。人気のトレーナーなので、なかなか予約が取れないのが、悩みだ。

1月27日までに、4回、基礎的な種目のトレーニング方法や、食事の注意点などの指導を受けた。パーソナル初日は、1月13日で、肩、背中,腕を一通り、トレーニング方法を教えてもらった。学んだのは、効かせたい筋肉を意識して、負荷をかける必要があると言う事である。スクワットは足の裏全体で、挙げること。カールも前腕で二頭筋を潰す感覚が大事だと言う事を教わった。数十年に渡る鈴木我流筋トレメソッドは、いったん捨てて、正しい筋トレの方法を伊勢コーチから学ぼうと思っている。これからも、色々な発見や勉強があるだろう。その記憶、記録として、「東京オープンボディビル大会出場まで100日日記」を書くことにした。大会出場を目指し頑張ろう。

めざせ! 6 pack coming soon 2019にむけて

1月3日(金)『原宿今日からオープン。伊勢さんに胸を鍛えてもらった』」63,20キロ 大会まで122日

㉜サイバーペクトラルフライ 収縮種目。椅子は2。穴を1に合わせる。収縮を優先して行う事。肩を引いて、大胸筋を潰す感覚で、前に絞って行く。ゆっくり締めて行き、締めたら2から3秒止める。そしてゆっくりと広げていく。軽くても効かせる。胸は張ったまま動作を行う。胸は張り続けることが重...

12月30日(月)『肩を鍛えた」62,90キロ 大会まで126日

早朝ジムで、肩を鍛えた。マシンワンハンドペクトラルサイドレイズ 二つ並ぶうちの右側のマシン使用、黒いゴムを付ける。立っておこなう、背中の丁度真ん中に背立てを持ってくる。手首を延ばして、手を握り、掌で押し返すようにして引く。手は真横迄持ってくる。片方の手は細い黒い柱の部...

12月29日(日)『胸を鍛えてもらった」62,70キロ 大会まで127日

夕方ジムで背中を鍛えた。身体が怠い。脚と胸の筋肉が痛い。ケーブルロープローイング タワー8穴にロープを付ける。人指し指と中指の間で挟む。掌を付けるようにして握り、少し離れて立つ。身体を動かさないようにして引く、肘を下げないように引くこと。肘で引いてくる事。胸に引いてくる...

12月25日(水)『肩を鍛えた」63,05キロ 大会まで131日

早朝ジムに行き、肩を鍛えた。マシンワンハンドペクトラルサイドレイズ 二つ並ぶうちの右側のマシン使用、黒いゴムを付ける。立っておこなう、背中の丁度真ん中に背立てを持ってくる。手首を延ばして、手を握り、掌で押し返すようにして引く。手は真横迄持ってくる。片方の手は細い黒い柱...