6月30日(日)『選手と呼ばれることは誇り』
もう50年も昔の事になるが、高校時代、野球部に在籍していたので、鈴木選手と呼ばれた事がある。
ボディビルの大会に出場した事で、会場内で、鈴木桂一郎選手と、声高らかに名前を呼ばれた時には、俺って選手なんだと、笑ってしまった。去年の大会でのことだったから66歳の時だ。50年の時を越えて、「鈴木選手か」、と不思議に誇らしい気持ちになったと同時に選手と呼ばれたからには、全力を出さなければならないと思った。
現役時代、NHKでスポーツアナウンサーをしていたので、様々な競技を、テレビやラジオで中継してきたが、一体何人を●●選手と呼んできただろう。●●さん、とか●●君と呼び辛いので●●選手と、記号のように選手と言う言葉を使ってきたように思う。でも選手と呼ばれたプレイヤーは、魔法に掛かったように、全員全力でプレーをしていた。無気力に試合に臨む人は、一人もいなかった。なぜなら選手と呼ばれるのは、選手にとっては誇りだからである。誇りだからこそ全力を尽くすのは当然なのだ。
私は、今、かつて盛んに行った実況中継で、自分が選手と呼んだ選手を、もっとリスペクトして放送しなければならなかったと反省しきりである。選手と呼ばれる事は選手には誇りなのだ。この事に、現役時代に気が付いて中継していれば、きっと、上手いスポーツアナウンサーになっただろうに、残念な事だ。
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