4月30日(火) 『平成最後の筋トレ』 体重57,20キロ 大会まで4日

今日で平成が終る。朝からテレビ各局では、平成最後の日とか、天皇退位の日と繰り返して放送していた。平成終幕の日に、何か記憶に残る、記念になる一日にしようと、様々な予定を紹介していた。豊島園は無料で入園でき、東京タワーでは、タワー神社が展望台で御朱印状をだしたり、年越しそばならぬ、平成越しそばを出す店がある等と紹介していた。

私は、早朝ジムに行き筋トレを行なった。平成最後の日、筋トレに励む人がたくさん来ると思ったが、さほどの混雑はしていなかった。伊勢さんのパーソナルトレーニングの日だが、大会直前なので、猛烈なトレーニングはせず、軽く胸と背中をパンプさせて終った。

平成の31年の間、アナウンサーとして、忙しい仕事をしてきて、それなりに機能できたが、自分の体を鍛えると言う観点では、忙しさにかまけて、十分な筋トレはできなかった時期もあり、反省している。平成の始めに、東京で勤務していた時には、二つのスポーツクラブの会員になったが、早出の毎日が続き、眠る時間を確保するのがやっとで、週に一度どころか、月に一度トレーニングに行くのが限界だった。平成の時代は、東京→仙台→長野→東京→松山→東京→前橋→東京と、8回転勤したが、夫々の土地で、スポーツクラブに入り、仕事の後や、休みの日には筋トレをしてきた。特に長野では、温泉つきのスポーツクラブに入り、仕事が終るとスポーツクラブに行き、温泉に入り、そばを食べて帰るのがルーティーンとなった。松山では、バイクで筋トレに行き、帰宅後は道後温泉に通って、疲れを取った。平成の時代は、時間を管理して、何とかスポーツクラブやジムに通い、できるだけ筋トレをしてきたと思う。

定年の60歳を前に、ジムをコナミからゴールドジムに変えたが、マシンの数が多く、本気で鍛えている人の中に入って、モチベーションを高められたのが大きいと思う。ゴールドジムでは、筋トレ環境に恵まれて、ジム友達も増え、ポージング教室に参加するようになり、65歳で完全にNHKを卒業した後は、毎日ジムに通える環境が整い、去年東京オープンボディビル大会60歳以上級に初出場し、初入賞し、4位に輝いた。今年も同じ大会に出場予定だ。夢見たボディビルダー生活を送っている。

筋トレという限定した範囲内で、平成を振り返ると、昭和の時代に出会った筋トレを、仕事で中断もあったが、平成に入ると、細々とだが復活し、10年前からは意識してジムに通い、65歳の定年後は、本格的にジムに通っている毎日である。少子高齢化の時代、高齢社会が進む中、自助努力で、なるべく人様の手助けがなくても、生活できるように、筋トレに励みたいものだ。