大会を終えて

 私は、66歳のこれまで、大病をしたことがなかった。時折風邪を引く程度で、極めて健康に恵まれ、仕事だけでなく、趣味にも打ち込んで過ごしてきた。ところが、去年の11月4日、大橋茶寮での大事な茶事の最中に、意識を失って倒れ、慈恵医大病院に救急車で運ばれる事態がおきた。幸い命に別状はなかったが、慈恵医大の所見では、急激に血圧が下がったので、意識を失ったのではないかと、説明を受けた。その後、色々な病院で、脳、心臓、内臓等の検査を受けたが、いずれも数値は正常で、健康であると診断され、何故意識を失ったのか、その原因は結局不明であった。意識を失い、吐いてしまい、吐瀉物が喉に詰まって呼吸が出来なければ、命を失っていたかもしれない。幸い、茶事の参加者に、元客室乗務員がいて、気道を確保してくれたので、命を拾った。あのまま死んでいたかと思うと、人間いつ死ぬか分からないと思った。

 人間は、死に際して、自分の人生で、あれもしたかった、これも出来なかったと、数多くの悔いを残すと聞く。私は、これまで、自分のやりたい事は、全部思った時にやる、と言う事を主義にしてきた。この考え方を基本にして、声優になる夢、アナウンサーになる夢も果たした。子供の頃虚弱体質だったので高校で野球部に入り、練習のおかげで丈夫になった。大学でもウェイトトレーニング愛好会に入って体を鍛え、以後66歳の今日まで、筋トレをして体型を維持してきた。大学時代は、自転車で北海道、九州一周をやったし、就活も第一希望のNHKのアナウンサーになって夢を果たした。スポーツアナウンサーとして甲子園で中継したし、オリンピックでも中継できた。尚美と結婚し、マンションも手に入れた。バイクの楽しさに目覚め、ハーレー・ダビッドソンも手に入れた。歌舞伎も30年見てきたし、裏千家の茶道を始め、茶名宗桂の名をいただき、助教授にもなった。俳句王国の司会をきっかけにして、俳句も作って来た。海外旅行にも度々行くこともできた。

このように人生のその都度その都度、心に浮かんだやりたい事は実現してきたが、健康に不安が出てきた今、子供の頃からの夢であった、スティーブ・リーブスのような均整の取れたマッチョなボディビルダーになる夢だけは、果たせないまま、今日まで来ている事に思い至った。勿論完全に諦めていた訳ではなく、筋トレは長い間続けてきたし、より筋肉質な体にしようと、スポーツクラブをゴールドジムに変えて、筋トレに励んできたのは事実だ。ただ長年鍛えて来て、昔より筋肉質にはなったが、その上に脂肪が程よくついて、人によってはデブと言い、よく言えば固太りの身体にはなったとは思う。

そこで、健康に不安を持った今、子供の頃からボディビルダーになる夢を実現することに決めた。66歳という年齢、更に大橋茶寮での意識不明の事態が、何かの病気の前触れかもしれないという不安もあり、やるなら、今をおいて時はない、と思ったのだ。

勿論、66歳と言う事を考えると、若い人のように、がむしゃらにトレーニングは出来ないし、ボディビルーと言っても、何を持ってビルダーと言うのかも分からない。筋トレしている人は、目標の体を求めて頑張っている訳で、すべてボディビルダーとも言えるが、さすがこれは拡大解釈かもしれない。そこで、ボディビルの大会に出場すれば、誰が何と言おうと、ボディビルダーだと思うに至った。大会もたくさんあるが、初心者が参加する大会は、東京オープンボディビル大会と分かったので、今年の5月6日に行われる大会に出場する事にしたのである。大会に出場すれば、誰が何と言ってもボディビルダーである事は間違いない。出場するからには、会場の失笑をかうような中途半端な体ではなく、ある程度満足できる身体で、出場しようと思った。そこで、この1月から、伊勢龍顕さんにお願いして、短期間で、大会に出場しても恥ずかしくなく、見映えのある身体にしてもらえないか指導を仰いだ。そして東京オープンボディビル大会に実際に出場し、運よく決勝に進み、4位の成績を残すことが出来たのである。

スポーツニッポンに取り上げられ、紙面で大きな記事になり、YAHOOにもアップされ、情報が拡散されて行ったが、記事には、ボディビルダーのNHK元アナウンサー鈴木桂一郎と紹介されていた。自分でボディビルダーと言ったのではなく、人様が私の事をボディビルダーと呼んでくれたのだから、嬉しい事で、まさしくボディビルダーになったのであろう。こうして、100日間の努力で、マッチョな体に生まれ変わり、念願だったボディビルダーになる夢を叶えたのだ。これで、死ぬ前の悔いが一つなくなった。やりたい事は、全部やったと思って死にたいものだ。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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