2018年5月7日(水)『歌舞伎座五月昼の部』

歌舞伎座五月昼の部は、海老蔵の雷神不動北山櫻と時蔵の女伊達である。

幕が開くと、海老蔵が、裃姿で、登場。後ろには、今日演じる五役の顔写真が飾られている。鳴神上人、粂寺弾正、早雲王子、安部清行、不動明王、この五役を、芝居の流れに沿って解説してくれるので、ストーリーも分かやすい。先代猿之助に習って、いい配慮だったと思う。

今回の芝居は、成田山開基1080年、二世市川團十郎生誕330年に、丁度合わせたと言うが、1000年とか1100年なら分かるが、1080年では、数字的に中途半端で、無理やりこじつけている感じがした。

まずは口上で海老蔵が出てきたため、次の幕は、いきなり4人の武士の立ち廻り、長時間で戸惑った。海老蔵の着替えに必要だったのだろうが、何故だか分からない主役が絡まないこの殺陣に、睡魔が襲ってきた。

この芝居は、通しとはいえ、海老蔵の五役のできと早変わりの楽しさが眼目と思っていたし、芝居では、毛抜、鳴神の二つが楽しめればいいと思っていたので、睡魔と戦いつつ、芝居を見る。そういえば、海老蔵の甘ったるい声も眠気を誘う。

毛抜。この舞台は単独で演じられることが多く、何度も見た芝居である。主君の結婚相手のお姫様が、奇病にかかり、結婚できない状況になり、何故すぐに結婚できないのか、その謎を探りに行く役割を持って粂寺弾正が登場する。弾正は、複雑なキャラクターを併せ持つ人物だ。主君の信頼が厚く、藩政の一角を担う家老という行政官僚で、かといって年寄りではなく、男盛りで、決して武骨一辺倒な男ではなく、男の色気も感じさせないといけないし、男にも、女にも言い寄る好色さも持っている。更に、荒事の一面と、捌き役の爽快感も醸し出さないといけない。なかなか複雑で難しい役だが、海老蔵が、粂寺弾正をどう演じるかが楽しみな一幕である。

海老蔵は、出から颯爽として、色気があり、花道から、老獪な侍と言うより、堂々とした男ぶり、英雄色を好むではないが、好色な武士のイメージで登場した。セクハラしなくても、相手から自分に寄ってくるのは当たり前と思わせる雰囲気がある。海老蔵は、ニンに会った役と瞬間的に思わせた。

他家に様子を探りに来たのに、まず小姓に、馬の乗り方を教えようと言って、体を触り、口説きにかかる。余裕綽綽である。セクハラを仕掛けるのが、何で女じゃなくて男なのか、と思ったが、江戸時代は、同性愛が世間的に認知されていたから、芝居に取り入れられたものと推測する。芝居では、男、女の順番で口説きにかかるのだが、弾正は、男から女へ、女から男へ、セックスの対象を振り子のように変化させられる武士として描かれる。好色の典型が、バイだったのである。舞台の主役が、今ならセクハラで訴えられる行動をしたとしても、江戸時代の観客は、そんな侍もいるなと、笑って観ていたと思う。小姓を児太郎が演じていたが、美しさに欠け、絶対に手を出される対象にはならないと思った。この役は、松也で決まりだ。小姓の中性的な魅力を出せるのは美形な松也しかいない。児太郎は、腰元を演じればいいと、思ったが、芝雀のエロさは、まだだせない。

この後、お姫様の髪が逆立つ謎に迫るのだが、毛抜で髭を抜こうとすると、床に置いた毛抜が立ちあがり、勝手に動き出す。毛抜は小さいので、ここで大きな毛抜が登場し、笑いを誘う。タバコを吸おうとすると、銀製の煙管は動かない。ここで弾正は、鉄製の毛抜が立つ様子を見て、お姫様の髪が逆立つ仕掛けは、磁石と見破り、天井裏を槍で刺すと、侍が磁石と共に落ちて来て、謎が解ける。お家乗っ取りを計る小野家の家臣を討ち果たし、目出度し目出度し、颯爽と帰るのであった。 

海老蔵の弾正は、颯爽としていて、セクシーで、ユーモアもあり、全然硬さがなく、セクハラシーンも楽しく、最後は荒事らしく、悪人を退治して、明るく終わる。堅苦しさはなく、見ていて楽しい舞台だったと思う。

 鳴神、これも単独でよく出る演目である。鳴神上人、どこにでもいるようなお坊さんではなく、朝廷から密事を託される偉いお坊さんである。鳴神上人は、世継ぎ問題が絡んで、天皇の子供として女の子で生まれる予定の子を、男の子として生まれるようにして欲しいと頼まれ、実現させる。そんな事は、実際にはありえないが、あくまで御芝居。こんな事もやってのける超能力を持ったお坊さんなのである。しかし、朝廷は、約束を破り、鳴神上人は、京都から追放されてしまう。朝廷に恨みを持った鳴神上人は、竜神を滝壷に封じ込め、これで旱魃が起こさせ、雨が全く降らない状態にさせる。朝廷は、絶世の美女、雲の絶間姫に、色仕掛けで、鳴神上人を堕落させ、竜神を解き放ち、雨が降るように命じる。絶間姫は、色仕掛けで、上人に酒を飲ませ、癪と偽って上人を騙し、胸を触らせて堕落させ,上人が酔いつぶれている間に、竜神を解放し、雨が降る状態にしてしまう。最後に、上人は、怒り狂って絶間姫を追いかける荒事を見せて、舞台は終了する。品格識見優れた鳴神上人が、絶世の美女、雲の絶間姫の誘惑に会い、堕落すると言うストーリーで、現代的な感覚でみると、セクハラを仕掛けられた御坊さんの、まんまと、誘いに乗り、セクハラをしてしまった悲劇、と言うか、喜劇である。

 あんな徳の高いお坊さんでも、絶世の美女に仕掛けられると、転んでしまう、堕落してしまうんだ、という江戸市民の共感、日頃は、偉らそうな事を言っていても、いい女がいれば、やりたくなるんだと言う、庶民の感覚に沿った劇と言えると思う。

 すまし顔で品行方正、国政にも関与する仏教会の指導者然とした上人が、絶世の美女雲の絶間姫に誘惑されて、段々と落ちていくところが眼目である。上人は、高齢な僧ではなく、源氏物語の光君のような高貴な風情が必要。こうした見た目の役者でないと、堕落が効かない。まさかの高僧が、よもやの堕落をする。美僧が落ちていく、その落差を楽しむ芝居である。海老蔵のニンにあっている。絶間姫も絶世の美人でなくてはならない。今回は菊之助、菊の助の女形は、何処か冷たい感じがしていたが、今回は美しくて、エロさがあって、心の中では、騙してすいませんと、わびている風情もあり、心の振幅を上手く出していた。海老蔵、菊之助、美男美女が演ずる鳴神を楽しませてもらった。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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