2月14日(金)「歌舞伎座2月昼の部。菅原伝授手習鑑。加茂堤、筆法伝授、道明寺」
令和2年の歌舞伎座2月大歌舞伎は、仁左衛門の菅原伝授手習鑑だった。時代狂言の代表作、菅原伝授手習鑑の中から管丞相関連、つまり菅原道真に関した場面だけを抜き取っての構成である。加茂堤、筆法伝授、道明寺の3幕の構成であった。菅原伝授手習鑑の中でも寺子屋は、緊張感が次々に襲い、寺子屋の弟子の子供を殺すという驚きの惨酷さと、意外な展開にハラハラドキドキとして見るが、今回の三幕は展開が緩く、さしたる緊張感もなく、変化に乏しいので、正直に言って退屈に感じた。私の両隣の観客は、加茂堤が始まると、早々にうとうとし始めた。
加茂堤は、帝の病気平癒のため賀茂神社に参詣に来ていた斎世親王が、管丞相の養女苅屋姫と、密会する場面である。長い物語の発端、管丞相が失脚する原因が、管丞相の養女苅屋姫14才と、天皇の息子17歳の斎世親王の幼い恋であったことが分かる。忠臣蔵も高師直の顔世御前への邪恋が発端となり、物語が進むが、菅原伝授手習鑑も同じ趣向だ。ただこちらは幼い二人の純愛がスタートで、この恋を応援したのが、管丞相の仕庁の桜丸と新妻の八重である。良かれと思った事なのだが、これが仇となって、二人にも悲劇が訪れる。お軽と勘平の運命に、こちらも似ている。
加茂堤は、牛車の中での逢引を見せながら、牛車の中で、今で言うカーセックスを助長するような桜丸と八重の会話の笑いも入れながら、ほのぼのとさせて、一気に悲劇が襲う展開となる。この逢引を、管丞相と対立する藤原時平の部下に見つけられ、斎世親王と苅屋姫二人は、愛の逃亡劇に走るのだが、敵対する藤原時平に、二人のセックススキャンダルを政争の道具とされ、管丞相は失脚するのである。管丞相は、何かアクションを起こしたのではなく、今でいえば部下のミスの責任を取らされた形になる、管丞相はあくまで神格化されていて、悲劇性が増すのである。
筆法伝授は、筆法の奥義伝授の勅命を受けた管丞相が、不義により勘当した弟子の武部源蔵を選び、自分の筆の筆写を命じ、源蔵は兄弟子の稀世の邪魔を受けながら、見事に合格し、筆法伝授の一巻を賜る場面である。管丞相が歩くと、冠が落ち、不吉を感じさせ、武部源蔵が、桜丸から管丞相の子息、管秀才を預かるところで終る幕。
筆法伝授を見ると、寺子屋の悲劇が腹に落ちる。よく舞台に出る寺子屋単独で見ると、何故武部源蔵夫婦が、預かった管丞相の息子管秀才を護るため、寺子屋に入門したばかりの弟子の子供を殺してしまうのか、余りに理不尽で、怒りさえ湧くのだが、この幕を見ると、腹にストンと落ちる。
武部源蔵は、管丞相から筆方伝授という、書道における管丞相の後継者に指名された大恩がある。さらに管丞相の書道の弟子だった昔、武部源蔵は、女に手を出し、管丞相から勘当されたが、事実上は結婚を許してくれた恩義もある。武部源蔵にとり、管丞相は、二重の意味で、大恩人なのである。この管丞相への二重の恩義があるからこそ、管丞相の息子を必死で守ろうとするのだ。今の世では、他人の子供を殺してしまうのは、許しがたいことだが、観客に、恩人の子息を護るためには、よその子供を殺してしまうのも仕方がないというような気持ちに向けさせるのは、作劇の上手さである。この幕を見て、今後寺子屋を見たら、このように感じることだろう。
仁左衛門扮する管丞相は、座っているだけで、気品が漂い、高貴な雰囲気が辺りを圧倒する。菅原道真がいたとするとこんな人だったかと思わせるのは、流石である。しどころもなく、ほとんど座った状態なので、難しい役だと思う。
道明寺は、船待ちを理由に滞在している管丞相と、娘の苅屋姫が、お互いが目を合わせる事無く、親子の別れをする場面が見所である。管丞相の木像が、身代わりとなり、管丞相の命を救う場面も。そんなことある訳ないじゃないかと思いながらも、管丞相の神々しさを見ていると、こんなことがあるかもな、と思わせるところも楽しい。
苅屋姫の実母、管丞相の伯母にあたる白髪の覚寿は玉三郎が勤めた。三婆の一つとされる大役だが、玉三郎は、女勝りの力強さも見せ、手強かった。じいさんばあさんで、玉三郎の白髪のばあさん役は見たことはあるが、これからは、いわゆる三婆役に立ち向かうのだろうか。いつまでも私は、玉三郎の苅屋姫を見たいところだ。
今月は、仁左衛門の管丞相を堪能した。何より管丞相は、右大臣だし、書道の神様だし、今では学問の神様だし、そう見えないと話しにならない、なによりらしさが重要で、たち振る舞いに気品がないといけない。仁左衛門は、この点、先代の血を引き、立派な管丞相に見えた。今の時代の歌舞伎界で、他に誰なら管丞相をできるだろうか。
今月は、十三世仁左衛門の二十七回忌の公演だったが、長兄の我當、次男秀太郎、三男当代の仁左衛門が、揃って出演できたのは、良かった。長男であり、仁左衛門を継ぐと思われた我當が仁左衛門を継げず、弟の孝夫が仁左衛門を継ぐ事になった。人気、集客力で、孝夫に仁左衛門を継がせるほうが松竹の利益になるという、松竹の経営判断だった。この時の我當の気持ちはいかばかりだっただろう。もし我當に人気が在れば、仁左衛門を継いで、今回も、管丞相を演じて二十七回忌の公演に花を添えたことだろう。病気療養中と聞いていた我當が、夜の部の八陣守護城で、加藤清正をイメージした佐藤正清役を演じていた。一階席からは見えない、船の上で移動する場面を、三階から覗く事が出来たが、黒衣二人に抱きかかえられるようにして移動していた。弱弱しい病の身体を押しての出演だった。我當の舞台姿を、歌舞伎座で見られるのは、これが最後になるかもしれないと思うと、泪が落ちてきた。我當が元気なら、管丞相に対抗して、丸々とした顔で、いかにも憎憎しい、時平の七笑いを見たかった。
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