7月10日(水曜日) 「歌舞伎座七月昼の部、高時、西郷と豚姫、素襖落、外郎売」

舞伎座の昼の部に行く。昼の部は、外郎売で、海老蔵の息子の勸玄君の早口の言い立てが話題である。観客席は満席状態で、一幕見席も立ち見がたくさんいて、人気振りが分かった。右團次の高時、西郷と豚姫、素襖落、外郎売の4作品。

高時は、明治17年初演の新作歌舞伎、いわゆる活歴物で、河竹黙阿弥の作だ。明治天皇がご覧になった事で有名だ。

江戸時代の歌舞伎を、明治の御世に合わせて、荒唐無稽な筋立てではなく、人物の個性も、様々な角度からスポットを当てて、類型的に描かないという狙いで、活歴物が多数作られた、高時もその一つで、鎌倉幕府最後の執権、高時を描いている。北条高時といっても、正直に言って、どんな人物だったのかは、よく知らないが、新田義貞に攻められて集団自殺して滅んだ鎌倉時代最後の北条の執権だ。

明治17年の時点では、主役の高時が、正面を向かず、柱に背中を付けて、横に座る演出は、新しかったのだろうが、今となっては、正面を向いてもいいと思う。凄い工夫には、見えない。

前半は、自分の愛犬を、浪人に殺されて、犯人を死刑にしろと命じ、家来が諫めるシーンは、会話劇なので、右團次の明晰の台詞術が生きて堪能した。新作歌舞伎らしく、高時を、単なる暴君として描くのではなく、歌舞音曲を好み、為政者として単たる暴君ではなく、法治主義者として描いていた。犬を殺した者は死罪と言う法律があるのだから、犬を殺せば、他人の犬であろうと、自分の犬だろうと、当然死罪と言う考え方を強く押し出す。家来が諫めると、次からは死罪にしないと言い放ち、でも今回は死罪にすると、あくまで法に拘るところを強く打ち出していた。秋田入道が登場し、今日は、北条二代執権義時の月命日と聞かされ、ようやく死罪を免じるあたり、単なる暴君として、単純に描かれないのはいい。こういったあたりが、悪党は悪党、暴君は暴君として類型的に描かれた江戸時代の歌舞伎とは違う点が見られた。でも例えば鶴屋南北の東海道四谷怪談では、伊右衛門を、複雑な性格に描いていたから、そんなに新しいとは思えない。

後半は天狗が出て来て、高時を巻き込んで、踊る。従来の踊りと違って、天狗がジャンプをして踊る事が、当時としては目新しく、明治天皇も誉めたと聞いたが、今となっては、飛び上がるだけで、これを踊りと言うのか疑問だ。右團次の高時は、明晰な台詞術で、傲慢さ、優雅さ、理性さ、コミカルさ、と複雑なキャラクターを演じ分けていたと思う。

次が、西郷と豚姫。西郷が錦之助、豚姫は獅童が演じた、大正6年、1917年、無名会と言う新劇団により初演され、すぐに歌舞伎で上演された。幕末、西郷隆盛は、島津藩主斉彬の死後、久光とそりが合わず、切腹が命じられる恐れが出ている。危機的状況の西郷を、丸々と太った中居、お玉が好きになるというラブロマンス。お玉は、西郷が好きになり、今度会ったら死のうと思っていたと、西郷に話すと、じゃ一緒に死のうと応じる西郷。この時、名優の大久保利通が出て来て、藩論が勤皇でまとまり、西郷には江戸に行けと命が下る。旅費としてもらった百両の内、99両をお玉に渡し、自分では1両しか取らない、この辺りに、西郷を良く描きたいと言う意思が出ている。ただ、この芝居のどこが面白いのか、私には分からない。太った中居お玉を、今回は獅童が挑戦した。一途で、包容力のある女を好演していた。一途の西郷を思う気持ちは良かったと思う。

素襖落は、明治25年,1892年,九代目團十郎が初演した新作歌舞伎、元が狂言だから見ていて楽しい、海老蔵の酔い方は、なかなかいい。

最後は外郎売、勸玄君は、外郎売の長台詞を、一回も噛まずにしゃべり切ったのは驚いた。勸玄がしゃべりだすと。会場は、シーンとして聞き入っていて、終わると大きな拍手が送られていた。ツケに合わせた見得もきちっと決まり、将来が楽しみだ。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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