12月8日(土)『歌舞伎座夜の部。阿古屋、あんまと泥棒、傾城雪吉原』

 今月の歌舞伎座の夜の部は、阿古屋を玉三郎、梅枝、児太郎の3人が、日替わりで演じるのが注目だ。今日は、梅枝の阿古屋を観た。まだ31歳の梅枝が、阿古屋を堂々と演じて目を見張った。何時の間にかこんなに成長していたのかと驚く。梅枝ファンの私は、東京の舞台は全部見ていて、梅枝の芝居は注目していたが、何時かは突き抜ける存在になるだろうと期待していただけに、嬉しい限りだ。出の傾城としての風格は堂々としていて、しかも憂いも感じさせ、楽器を弾き、又その合間の表情の変化も真情に溢れ、見事だった。玉三郎のポスト阿古屋は、梅枝で決まりだと思った。

梅枝の白塗りの面長の顔がきりっとしていて、古風で美しく、決まり決まりも意思堅固に見え、立派だった。一年練習してきたと言う琴、三味線、胡弓を、顔色一つ変えず、見事に演じきった。やはり女方は、化粧をして、美しく見えないと駄目、錦絵から抜け出たような梅枝の阿古屋を堪能した。

もう一つ私が良かったと思うのは、重忠役の彦三郎だ。声が大きく、明晰で、羽左衛門を思わせる歌舞伎らしい台詞回し、情愛に溢れた捌き役だった。隠れ彦三郎ファンの私は、もっと主役を彦三郎に振ってくれと思う。今は亡き富十郎に並ぶ、幕見席迄明瞭に伝わる声量だ。

 この芝居で、アッと驚く為五郎ではないが、アッと驚く玉三郎が出た。なんと玉三郎が赤ッ面の悪人岩永を、人形振りで演じたのである。玉三郎にとって、赤ッ面の悪役に、どんな魅力があるのか分からないし、人形振りへのチャレンジなのかもしれない、あえて芸域を広げようと言う事なのかもしれない。本当の処、玉三郎の狙いがどこにあるのか分からないが、悪い冗談である。何で玉三郎が、こうした面に積極的になるのかfanとして理解できない。怖いもの見たさに玉三郎の岩永を見たが、正直に言って、玉三郎の赤ッ面なんてあまり見たくない、ファンは美しい玉三郎が見たいのだ。40年来の玉三郎ファンの本音である。

顔だけ見ると、見事に化けて、気味の悪い赤ッ顔で、とても玉三郎とは思えない。首の太さも、手のゴツゴツ感も玉三郎とは思えない変貌ぶりだ。目の辺りに、覆面をしているようにも見え、独特の工夫がある様だ。でも主役を引き立たせる赤ッ面が主役になってはいけない。不気味な気持ち悪さの岩永に目が行き過ぎて、舞台を殺してしまった。かつて勘三郎、松緑でも左衛門を見たが、人形としての動きの固さが玉三郎にはあまり見えず、柔らかな人形の動きのように見えた。一つの人形振りの行き方だろう。脚を宙に浮かせて人形らしく見せてはいたが、最後の最後まで何で玉三郎が岩永を演じなければならないのか、疑問が続いた。玉三郎は、やはり美しい玉三郎を見たい。

 あんまと泥棒は、村上元三作演出の喜劇。あんまの家に泥棒が入り、金を出せと脅すが、金がないと言い張り、余りの貧乏さに可哀想になった泥棒が金二朱を逆に渡してしまうと言う筋。泥棒が去った家では、あんまが、畳の下に置いてあった甕に溜めた小判を取り出して喜ぶのだった。あんまを中車、泥棒を松緑が息の合った芝居をしていたが、歌舞伎らしさはまるでなく、役を大袈裟に、誇張して演じるだけで、見ていて疲れた。疲れた所で、最後は、玉三郎の傾城雪吉原。幕が開くと、紗幕の奥にぼんやりと長唄連中が並んで、雪が落ちて、笠を指して玉三郎が後ろ向きになっている。すでに美しさの世界に観客は誘われる。岩永から傾城への大変身、ふり幅が大きければ大きいほど、驚きは増し、玉三郎の美しさは引き立つ。まあそこに狙いがあるのだろうが、ま、そんなところはどうでもよく、美しい玉三郎の傾城姿にうっとりとする。ゆったりとした手ぶりで美のファッションショウが続く、動く美の化身玉三郎が見られて、眼福、幸せな思いで、帰路に就いた。美しくなければ玉三郎ではないのである。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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