11月3日(土)『歌舞伎座、顔見世大歌舞伎。お江戸みやげ、素襖落、十六夜清心』

 昨日から始まった歌舞伎座顔見世大歌舞伎の昼の部を観にいく。演目は、お江戸みやげ、素襖落、十六夜清心の3本立て。

 お江戸みやげは、おばあちゃん2人が主役の珍しい演目。田舎のおばあちゃん二人の江戸での冒険譚、笑いあり、最後はほろりとさせられて、楽しく見た。さすが川口松太郎の作品で、構成がしっかりしていて、テンポよく進んで行き、飽きさせない。時蔵と又五郎が結城紬の行商人を演じ、特に又五郎の女形はあまり見た記憶がなく、田舎のおばあちゃん同士の軽口をふんだんに入れて、楽しく見せてもらった。先日俊寛の赤面の瀬尾を憎たらしく演じたばかりで、役柄の広さに驚いた。

 簡単にストーリーを説明する。舞台の湯島天神には白梅紅梅が咲きそろい早春の雰囲気たっぷり、宮地芝居が開催されている湯島天神の茶屋で話が進んでいく。宮地芝居とは、むしろ張りや、粗末な小屋で演じられる芝居の事で、小芝居と呼ばれていた。

常磐津の師匠文字辰が養女のお紺を探している。お紺と宮地芝居に出演している女形板東栄紫とは恋仲である。でも文字辰は、お紺を妾奉公に出そうと考えていて、二人の仲を認めない。文字辰は東蔵、見るからに悪役然としたメイク、話し方は粋な江戸っ子で、常磐津の師匠っぽく見せるあたりはさすが。

 愛し合う二人、その仲を裂き、養女を妾奉公に出そうと画策する母、テンポ良く、状況が明らかにされた後に、結城紬の女行商人二人が、疲れた足取りで舞台に登場する。常陸の国、現在の茨城県から特産の結城紬の行商に江戸に出てきたおばあさんの二人連れである。

お茶を飲みながら結城紬の売れ行きや世間話で盛り上がる田舎茂野の行商人のおばあちゃん二人、ここで、二人のキャラクターの違いを見せる。几帳面で、金にうるさく、結構美人だったお辻を時蔵、おおらかで、仲間思いで、おせっかいな、おゆうを又五郎が演じ、二人のやり取りが楽しい。

茶屋で酒を呑んで気が大きくなった二人は、江戸みやげに、評判の栄紫の舞台を観る。栄紫は梅枝。栄紫の美しさに、ぽうっとした時蔵扮するお辻は、茶屋の座敷に栄紫を呼んで、一献酌む。お辻は、一生の思い出になると頭を下げ続けるし、栄紫は、贔屓の酒の席に出るのは、舞台に上がるのと同じ営業なので、役者らしく、しれっとした顔で、営業トークを繰り出す。又五郎扮するおゆうは、奥の部屋にふすまを開けると、布団が敷かれていて驚き、お辻が思いを遂げられるように、部屋を出る。こうしたくすぐりの演出も楽しい。江戸時代は、役者を宴席に呼ぶというのには、アフターがあり、セックスも含めていたことが分かる。サア、これからという時に、文字辰が座敷に乱入し、栄紫に、娘をどうするつもりだ、50両出すなら結婚を認めてやると、口に出す。このいきさつを聞いていたお辻は、好きになった栄紫の為に、結城紬を売った売上金、13両三分二朱が入った財布を出し、これで二人の結婚を認めて欲しいと訴える。金を受け取った文字辰はしぶしぶ二人の中を認める。

 舞台は、湯島天神に代わり、上方に旅立つ栄紫とお紺の2人と、行商のおばあちゃん2人が、舞台に登場する。おゆうは気を聞かせて、お紺を先に連れ立つ、舞台には、お辻と、栄紫が残り、栄紫は、お礼を口にすると同時に、襦袢の片袖をお礼に差し出す。お辻は、良い江戸みやげが出来たと、嬉しく思うのだった。

 ちょっと長くなった、簡単に記すと、天保初年の春、田舎物の結城紬の行商のおばあちゃん2人の内の一人が、油島天神で、宮地芝居に出演している人気女形に一目ぼれし、酒席に招いた席で、女形と恋人の窮地を、自分の全財産を投げ出して救う、という物語だ。

田舎物の行商人のおばあちゃん二人のやり取りが楽しく、ストーリー展開も無理がなく、まさに人情喜劇で、笑ったり、涙を誘ったり、ほろりとされたり、楽しかった。

天保という時代背景が丹念に描かれて、江戸時代のワープしたようで、楽しかった。油島天神の御賽銭が十文だったり、売り物の結城紬を残り二本を残して、十三両三分二朱の売り上げがあったとか、役者買いと言い、役者を宴席に招き、夜も一緒することができた社会背景、大歌舞伎の役者なら金持ちしか買えないが、宮地芝居の役者なら、モット気軽に買えたという事も分かった。茶屋が単に御茶を飲ませるだけではなく、現在のラブホテルの役割も持っていた事。宮地芝居の番組に、桜門五三桐が出ている事、養女を妾奉公に出した謝礼が、大きくて50両、少なくても20両位という事、なにより江戸の天保年間になると、田舎にも経済化が進み、特産品を江戸に売り込みに来て、結構な収入を得ていた事が分かるし、行商のため、おばあさん2人が、常陸の国、今の茨城県から、安全に結城紬を売りに出ることが出来た事など、発見はいくつもあった。私は、歌舞伎を見ることは、江戸時代にタイムマシーンに乗り、旅行に行くようなものだとかねてから思っていたが、このお江戸みやげは、そうした観点から、大変楽しく見られた。

 次は素襖落、狂言の名作素襖落を歌舞伎に置き換えた芝居で、松羽目ものである。それなりに楽しめたが、酒によって踊る太郎冠者を松緑が演じた。お酒を、弁慶が呑んだような大きな器で何倍も飲むが、飲み終わった顔が、きょとんとした顔で、変化がない。魚屋宗五郎のように、酒が進むうちに、顔色が変わり、しゃべり方も変わる,ドンドン酔って行く写実性はない。あれだけ酔っているはずなのに、正気で踊り演じるシーンから、酔っ払った様子に突然変ったり、その逆があったりと、あくまで狂言風なので、仕方がないかもしれないが、技巧的な臭いがした。

 最後は、菊五郎の十六夜清心。河竹黙阿弥の世話物の傑作だ。何度も見た演目だが、菊五郎の力まず、色気もあり、心変わりを自然に見せる芝居で、世話物狂言を、心から楽しめた。清心が菊五郎、十六夜が時蔵、吉右衛門が白蓮を演じ、平成の歌舞伎も間もなく終わる、その掉尾を飾った舞台として記憶されると思う。

 鎌倉極楽寺の所化清心は、遊女十六夜と深い中となったことが発覚し、女犯の罪で、寺を追放される。切々と流れる清元の中に、清心は26歳、十六夜は19歳とある。郭を抜け出した十六夜と、稲瀬川の百本杭で出会った二人は、心中を決意し、稲瀬川に飛び込むが、十六夜は白蓮に助けられ、清心は水練に長けていて死に切れない。陸に上がった処に、美形の小姓采女が通りかかる。この采女が道路で突然癪を起こし、苦しんでいる。清心は、胸を擦って助けるのだが、この際に指先に金を確認、清心は、金を奪おうとして、采女を誤って殺してしまう。清心は、腹を切ってお詫びをしようと、刀を腹につきたてようとした瞬間、「痛い

、と思わず声を出し、ここで、「ちょっと待てよ」と言い、善人から悪人へ一気に人格が変化する。この心変わりの瞬間が舞台の焦点になる。ちょっと唐突な場面なのだが、普通なら思い入れたっぷりに、『ちょっと待てよ』と、大袈裟に台詞を言うところだが、菊五郎は、つぶやくように、本当にさりげなく今回は、この言葉を言った。その後、一人殺すも千人殺すもと、悪心が噴き出る。善から悪への変化を無理なく、ごく自然に演じ、親父様、菊五郎の、本当に手に入った芝居だということが、この一言で分った。さすがである。

十六夜は、時蔵、さっきおばあさん役で出ていたのだが、今度は、妖艶な遊女を演じていて、色っぽい。情の深さを強く感じた。おばあちゃんから遊女へ、同じ役者の大きな変化が、これが歌舞伎なのだと思わせた。吉右衛門は俳諧師白蓮、厚司と言うアイヌ模様の衣装で悠々と演じていて、裏の顔が盗賊である事を見せていた。

江戸の漆黒の闇の中、白蓮が十六夜を伴い、上手から下手に歩く。これに十六夜とも知らぬ清心が絡むだんまりがある。提灯がなければ道が分からなかった江戸時代。運命の交錯と皮肉。その闇を、生き証人の様に観客席から見た思いがした。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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