11月13日(火)『国立劇場、名高大岡越前裁』

 梅玉が大岡越前守を演ずる今月の国立劇場の歌舞伎である。大岡捌きは幾つもあるが、今回は天下を揺るがした天一坊の物語である。史実では、南町奉行の大岡忠助と天一坊事件は、全く関りはないが、名奉行であった忠助が、切腹寸前に追い詰められながらも、天一坊をついには偽物と暴く物語として描かれる。

 天一坊の事件は、映画やテレビでしょっちゅう見るので、お馴染みの物語で、ストーリーは、皆知っているので、逆に歌舞伎独特の実は実はと行かない所があり、ストーリーに破綻はないが、驚きに欠ける物語展開になった。テレビで見たストーリーを歌舞伎で再確認するように見るしかなかった。となると役者がそれぞれの舞台で、個性を発揮し、見せ場を作るしかないが、梅玉は、あざとく見せ場を作る役者ではないので、気品を保ちながら、心の中に徳川の安泰と、社会の秩序を守ろうという秘めた思いを内に秘め、思い詰めたていで、越前守を演じていた。

 大岡越前守忠助は、テレビ映画「大岡越前」で越前を演じた加藤剛さんのイメージが強く、男前で、嘘偽りが大嫌いで、正義感が強く、家族愛に満ちていて、社会正義に強く、悪が大嫌いと言うイメージで固まってしまっている。

 梅玉の越前は、徳川家の安泰を願い、少しでも疑いを持てば、徹底的に追及する闘士を心に秘め、物静で、冷静沈着、勘働きもあり、理詰めで考えることができ、話を進められ、家族思いで、しかも家来思いと言う理解で、越前を演じたと思う。

私は梅玉には、ニンに合う役だと思った。梅玉は更に一層怜悧に、社会の安定を人一倍奉行として考える能吏として演じた。天一坊への疑いは、まさに池波正太郎風に言えば、勘働きで「天一坊は悪人顔」と言うだけで、天一坊を疑う、直感力の鋭い人として演じていた。

芝居としては、何故忠助が自分の命を懸けてまでも、天一坊を偽物と考え、真実を探り、追い込んでいくのか、その必然性が描かれておらず、残念な脚本だった。悪人顔?だけではなくて、老中含め実子であると信じたのに、何で忠助一人が、天一坊を疑うのか、積極的な理由、材料が舞台に欲しいところだ。

 梅玉の個性なのだろう、越前を、淡々と地味に演じているので、伊賀之介とのやり取りの緊迫感、自身が切腹しなければならな状況に陥っている時の切実感、目出度し目出度しになった時の爽快感に欠けたと思う。あまり大向こうを狙わない、オーバーな演技はしない、いかにも梅玉らしい、淡々とした越前だったと思う。それでも十分に越前のカッコよさは出たと思う。最後ぐらいは持ち前の朗々としたセリフ術で締めてもよかったと思った。

 主役の一人天一坊は、右團次が演じた。幕開きで、お三の住まいにやって来る。朴訥なお寺の小坊主の法沢が、お三の家を雪の中訪ねて来て、お三の身の上話を聞いている。お三の昔話を聞くうちに、棚の上に置かれた包みが目に留まり、お三の娘が吉宗の手つきになり、男の子が生まれたが、すぐに死に、娘も産後の日達が悪く死んだと言う。死んだ子と自分は同じ歳。包みの中から吉宗の隠し子を証明する書付と、葵の字を散らした短刀を見た時に、一瞬にして、法沢の心の中で、「ちょっと待てよ」と、呟いたかどうかは知らないが、悪事が頭の中で組み立てられる。この一瞬の心の変化を、顔一つで、右團次は上手く見せたと思う。柔和な顔が、瞬間鋭い視線に変わる事で変化を見せた。声の張り方が上手い人なので、一気に悪事に邁進し、伊賀之介を味方につける所も、手馴れているし、世話に急に砕けるところも、落差があって楽しかった。

 閉門になった住居から、死体を運び出す事にして、忠助が上手く抜け出る所、番士役の橘三郎が、大リーグの大谷選手がアメリカンリーグの新人賞を取った事を、今朝報道されたばかりなのに、早速取り入れるなど、コミカルなシーンになっていて、楽しかった。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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