東京オープンボディビル大会当日

(東京オープンボディビル大会に参加して)

 東京オープンボディビル大会は、平成30年5月6日、王子駅に隣接する北トピア、さくらホールで開催された。一階906席、二階は494席あるが、小規模なホールである。

 8時半に会場に着いた。会場には,当日券を買いたいと、長い列ができていた。入口のガラス越しに、大会関係者が、準備のために忙しく働いているのを確認できた。会場オープンは9時で、選手は、当然その前に会場に入れるものだと思っていたのに、9時近くになっても、中に入れてくれない。結局、9時まで、壁に背中を付けて座って、待っているしかなかった。

60歳以上のクラスには、小さな楽屋を与えられた。部屋に入ると、出場選手が次々に入って来たので挨拶をした。ステージの裏が解放されていて、通常のクラスの選手たちは、そこで休憩したり、パンプしたりしていた。大会の役員がやってきて、点呼を行い、番号札と記念のTシャツをプレゼントしてくれた。

10時に開会式が行われ、選手は全員参加と言うで、先程いただいたTシャツを着て、ステージに向かった。

 開会式の後、スポニチの田中さんから誘われ、私は控室を出て、バックステージの下手に陣取った田中さんの横に場所を定めた。丁度ステージの後ろの空間で、早くもポージングパンツ姿になった若者たちが、パンプアップの運動を行っている。それぞれ自慢の身体が、すぐに汗で光ってくる。かなり張り詰めた空気が漂っていた。

私も、開会式が終わると、すぐにマスターズ60歳以上級の審査が始まるので、持参したプッシュアップバーと、ゴムロープで、胸や背中をパンプさせて予選を待った。大会関係者が、軽いダンベルを、下手舞台裏に用意していて、パンプする事ができるようになっていた。

女子の部が終わり,男子の部の最初が、私が出場するマスターズ60歳以上級だ。8人の選手が一列になって、舞台下手でスタンバイした。私はゼッケン3のプレートを付けて、三番目に並び、鈴木桂一郎選手と名前を呼ばれると、二三歩前に歩き、ダブルバイセップスをして、会場にアピールして、舞台の定位置に歩いて行った。いきなり「3番でかい」とか、「大胸筋日本一」などの応援の声が飛び交う。学習院大学のウェイトトレーニング部の学生さん達が、応援の声を飛ばしてくれている。8人が並び終えると、1分間のフリーポーズ、自分の好きなポーズを幾つか披露した。その後、規定ポーズを一通り行い、その後、番号を呼ばれた複数の人間が、前に出て、同じポーズを取る。比較審査である。私は、比較審査で、最初に番号を呼ばれた。最初に番号を呼ばれた人はボーダーラインだと聞いた事があるので、緊張感が走る。言われたとおりの規定ポーズを取ると、再び大きな声がかかる。ポーズをしていると、中々気持ちがいい。俺を見ろと言う気持ちになってきた。アナウンサーなので、見られると言うことに抵抗はなく、逆に嬉しくなる。最初の比較審査が終わると、また番号を言われた選手は、前に出て規定ポーズをするのだが、私は、再び番号を呼ばれたので、そのまま残った。いよいよボーダーのボーダーだ。でも、呼ばれたと言うのは、ボーダーで、もしかすると、決勝に残れるかもしれないという期待も膨らんできた。こうして予選は、いきなりスリリングが展開で終わった。

控室に戻ると、すぐ役員がやってきて、決勝に進出する番号を発表した。3番と呼ばれた。やった決勝進出だ。嬉しさが、溢れてきた。100日間の努力が、結果に結びついた。これで練習してきたフリーポーズを、ステージ上で、観客の視線を浴びて披露できる。俄然やる気がでてきた。アイフォンに入れたマイウウェイを聞きながら、フリーポージングを、鏡の前で、何度も練習した。

これまで応援してくれた人に、決勝進出のメールを送る。皆さん喜んでくれた。直接、会場に応援に来てくれた人に、挨拶に行こうと思ったが、大会役員から、人との接触は、禁止されていると言われ観客席には行けなかった。

妻の姿は確認できた。結構会場で目立っていた。妻にも、メールして決勝進出を伝えたが、電話すると、帰ると言うので自由にさせた。決勝の頃には戻ると話していたが、来るかどうかは微妙だ。

スポニチの吉澤記者が取材に来た。舞台裏まで来てくれた。決勝進出で、取材する価値ありと考えたのだろう。私としては丁寧に取材に応じたつもりだ。30分以上は話した。どんな記事になるのか分からないが、NHKの首都圏放送センターで、アルバイトとして、まだニュース、中継を行っている事。学習院大学ウェイトトレーニング部の総監督をしている事は書いて欲しいと伝えた。写真は、パンツ姿はNG,臍の上以上でお願いしますと、伝えた。

決勝まで時間が数時間もあり、この間持参した、バナナ、焼き団子、ぼた餅、クッキーなどを、次から次へと口に入れる。せっかく痩せてきるのに、思い切り炭水化物を食べて、体重が60キロに戻ってしまうのではないかと不安になってくる。

決勝を待つ間、時折、脚がつるのに驚いた。すぐ治らないで、10分以上つった状態が続くので、困った。治ったと思うと、又つる。田中さんが、塩分不足だと言い、塩をくれた。塩を口に含むと、脚がつるのが、消えたが、何時つるか分からず、フリーポージングの途中で吊ったらどうするのか、不安にもなった。

決勝の時間が迫る。ドキドキしてきた。放送の本番に近い感覚だ。やる事はやって来た。規定ポーズは、3年練習したし、フリーポーズも、何度も練習して、間違いなく出来るように、習熟した。予選で、俺を見ろと言う自信が出てきたし、見られる快感をすでに持ってしまった。ビルパンは最初恥ずかしかったが、なんとも思わなくなった。決勝進出の4人の中で、私が一番若く見えるのは間違いないと、変な自信が頭をもたげてきたし、アナウンサーとしてNHKホールで仕事をしたことを考えると、あがるなんてことはありえない。筋肉の切れ、カットは明らかに私より上の人がいるが、筋肉の張り、形は、私もなかなかいい。十分に戦えると思った。愈々決勝だ。私は二番手、最初の人は、違う曲が流れたため、やり直して、会場から拍手をもらっていた。いよいよ自分の出番、名前を呼ばれると、会場に挨拶して、所定の位置につく。まぶしいが観客席も見える。脚を決め、上体を決め、腕の位置を決めて、音楽を待つ。フランク・シナトラのマイウウェイが流れてきた。右手を決め、左手を決めて、フリーポージングが始まった。音楽に乗り、あがることなく、予定のポーズを終えた。会場内からの声援も落ち着いて聴くことができ、力が湧いてきた。筋肉に力が入る。一つ一つのポーズを大事に、丁寧に行った。無事に1分間のフリーポージングが終了。千人単位の人が、自分だけを見てくれる。なかなか気持ちが良かった。見られる快感は確かにあった。よぼよぼの身体で出場し、観客からは60歳クラスだから、体が崩れているのは仕方がないよねと言う、冷ややかに見られるのではなく、会場の人に、まだ張りのある身体で、筋肉もきちんと発達させ、十分にアピールできる身体で出場できた満足感があった。

 この後、表彰式を兼ねたポーズダウンがあり、初に私の名前が呼ばれて、4位が確定した。3位にはなれなかったが、決勝に進出し4位、立派な成績である。ちょっと残念だったが、大満足だった。

 こうして、人生初のボディビル大会チャレンジは終わった。100日の戦いの結果、体に大きな成果を得た。驚くほどマッチョな体になったので、大成功に終わった。私にとっては、ボディビル大会出場は、おまけであったが、運よく決勝に進み、4位になった。有終の美を飾れたと思う。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

ニュース, ナレーション, 司会, 歌舞伎, お茶, 俳句, 着物, 元NHKアナウンサー