2018年3月11日(日)『歌舞伎座3月夜の部、お染久松色読販から、小梅莨屋の場、瓦町油屋の場。神田祭、滝の白糸』

 歌舞伎座の夜の部を観に行く。演目は、お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)、の中から、小梅莨屋の場、瓦町油屋の場。神田祭そして滝の白糸の三演目である。

最初の出し物は、お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)の中から、強請りのシーンを抽出した場面。河豚に当たって死んだ若者の死体を使い、強請って百両を取ろうと言う物語である。お六が、玉三郎で、亭主の鬼門の喜兵衛が、仁左衛門という豪華なコンビ。最初の莨屋の場では、悪の凄味を、二人がたっぷり見せた。七三で、仁左衛門が、睨みつける場面では、視線が強く、厳しく、悪の魅力が匂い立つ。浮世絵から抜け出たと言う表現がぴたりだ。玉三郎のセリフの言い回しも、どんどんバージョンアップして、悪たれ感が強くなっている。玉三郎が、楽しんで演じている事が分かり、見ている方も、安心して、楽しめる。自らの美しさから解脱した感じが強く、これでもかこれでもかと悪びれていく、楽しかった。脅しにかかる、油屋の場でも、一層ねちねち感と、緩急があり、楽しい。しおらしく出て、一気にふてぶてしくなるところが、可笑しくて楽しい。汚れ役の、二人の競演は、本当に楽しい。余裕の演技である。

次が神田祭。清元の舞踊で、仁左衛門と玉三郎が、うって変って、美男美女に様変わりし、美しく踊った。祭りの衆に絡まれる立ち回りも、颯爽として格好がよく、芸者姿の玉三郎も、圧倒的な美を出していて、まさに黄金コンビ、まさにご両人である。連続した二つの幕の対比が、素晴しい。これが歌舞伎だと思った。

 最後は、滝の白糸。新派で見た事が有るが、歌舞伎座では初めて見た。小さな小屋に合う芝居で、大きな歌舞伎座では、持てあましてしまった。滝の白糸は、玉三郎の印象が強く、壱太郎は、玉三郎に可愛がられているのだろうが、玉三郎ほどには、美しくないので、イメージが崩れてしまう。最初に、寝起きで、ぼけっとして、うっとりとする場面も、美しさを感じさせず、その後も、悲劇のヒロインにはならない感じがして、もう帰ろうかと思ったが、松也が出てくるまでは、帰れないので、席に座って、見続けた。

壱太郎には、泉鏡花のセリフを、歌い上げる事は、まだ無理だ。美しいセリフも、美しく聞こえず、セリフ劇に浸れない。壱太郎は、顔も美しくないので、悲劇性が薄い。松也は美男で、圧倒的な美しさがあるが、壱太郎には、美しさがなく、仁左と玉のようなゴールデンコンビにはなりようもない。松也は、固い印象があったが、きっぱりとした演技が、心をうった。

新派と歌舞伎の違いは、どこにあるのか、いよいよ分からなくなった。