2017年12月10日(日)『12月歌舞伎座、1部、中車の瞼の母と、玉三郎の楊貴妃』

 歌舞伎座の一部は、愛之助の実盛物語と、松緑の土蜘。

実盛物語は、仁左衛門に仕込まれた愛之助が、斉藤実盛を華麗に演じた。源平布引滝は、1749年寛延2年、人形浄瑠璃として初演され、実盛物語は、三段目に当たる。

 歌舞伎の見取り公演で、よく出る演目で、仁左衛門のあたり役だ。仁左衛門から教わった愛之助が、どこまでやるのかが楽しみな一幕だった。一度、松竹座か南座で見た記憶がある。

歌舞伎の捌き役は、とにかく格好良くなくてはいけないが、愛之助は、秀太郎が、養子に迎えたくらいだから、子供の頃から顔が綺麗で、将来性豊かだったのだろう。美男の役者で、口跡も良く、花形中の花形役者に成長したと思う。将来は、仁左衛門を継ぐのではないかと、私は期待している。

 舞台は、平家全盛の時代、近江国堅田に住む百姓九郎助は、源為義の子である木曽義賢の御台所、葵御前を匿っている。葵御前は懐妊していて、この事情が、平家方に知れ、男の子なら殺すと、斉藤実盛と、瀬尾十郎兼氏が、百姓宅に詮議にやってくる。男なら殺し、女なら助ける、と平家は実に優しい。平家一門は、滅ぶ時には一気に滅んだが、一族は仲良く、皆栄華を極め、出世を重ねる。一方の源氏は、親兄弟が、敵味方に分かれ、殺しあう、どうも源氏は殺伐としている。私は平家の方が好きだ。

百姓九郎助が、子供が生まれたのではなく、右腕が生まれたと大嘘をつくが、実盛は、そんなこともあるだろうと、瀬尾を上手く言いくるめるのだが、亀蔵の瀬尾十郎との呼吸が合わず、自分だけいい子になっている気がした。源氏ビイキは、おくびにも出さず、知れっと演じる方がいいのではないかと思う。肝心の小万の腕を斬るくだりは、華やかさに欠けたと思うが、ところどころのミエは、形が美しく結構だった。

百姓九郎助の孫の太郎吉に、親の敵、覚悟とせまると、今撃たれては、手柄にならない、大きくなったら、仇討ちに応じようと、こちらもうまく捌いていく。平家物語の中で、斉藤実盛が、白髪を、墨で染め、首を打たれた後に、首実検して、髪を洗うと白髪の実盛になると言う物語が、見事に盛り込まれている。馬が出て来てからは、美しさに加えて、愛嬌と貫禄も出てきて、いい実盛になってきたと思う。将来の当たり役になりそうだ。

 二幕目は、土蜘。猿之助では見たが、松緑では、襲名披露興行以来というが、東京では見た事がないので、初見である。僧姿の前半は、さしたることもなく終わった。見破られて、身を変えた蜘蛛は、それなりに見える。後シテの蜘蛛メイクは、凄味があって、新鮮だった、まるで蜘蛛のようだった。茶色のメイクが、小さな松緑の顔を全部消して、顔が大きく見えて、迫力があった。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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