2017年8月23日(水)『日本橋劇場、松也自主公演、挑む、番町更屋敷、乗合船恵方萬歳』

 日本橋の日本橋劇場での、尾上松也の自主公演「挑む」、を観に行った。演目は、番町更屋敷、乗合船恵方萬歳の二つ。

 番町皿屋敷は、岡本綺堂の新歌舞伎、旗本青山播磨の名セリフが芝居の要である。吉右衛門や、梅玉が主に演じてきた芝居で、歌い上げるセリフ術が見どころ、聴きどころで、この辺りを、松也が、どう演じるか、注目したが、まずは合格ラインをクリアしたと思う。

 出で、少し鬱屈とした、陰のある青山播磨が登場した。胸を張って、正面を見据えた、美丈夫振り、白塗りの顔が、きりっとして、甘く美しい。旗本水野十郎左衛門を中心とした不良グループの一角を占める、ストレートな愛情を持つ若者と言う印象が強く、その後の悲劇の伏線を上手く見せている。

お菊が皿を、間違いで、割ってしまったと聞いた時の驚きと、その後、すぐに、ミスなら仕方がない、ましてお菊のミスならば、不問にするという、お菊に対する、思いやりと愛情をうまくだした。美形で、憂いのある表情を得意にする松也は、この辺は得だと思う。ニンで演じられる。

お菊が、うっかりして家宝の皿を割ったのではなく、播磨の愛情を確かめようと、わざと皿を割ったと聞いた時の、心の中の驚き、怒りへの変化は、柔和な表情から一転して、怒気を含んだ表情に、切り替わっていたし、表情、心情の変化に伴い、台詞にも、この変化が伺え、梅玉に習ったと言っていたが、高低を上手く使い、普段は使わない、低めの声を、生かしながら、高らかにうたい上げるセリフ術は、朗々と、きっぱりと聞かせた。若いのに、うまいと思った。台詞全てを歌い上げず、必要な所を歌い上げる、岡本綺堂が狙った台詞術は、上手く出せていたのではないかと思う。

 お菊は、市川蔦之助が演じた。私は、知らない役者だったが、左團次のお弟子さんである。お菊の、播磨を信じようとして、100%信じられず、家宝の皿を割る事で、播磨の対応を見て、自分への愛情を確認したいと言う、小ざかしく、哀れで、馬鹿な女性を、上手く演じていたと思う。表情の変化がリアルで、心の変化が、上手く顔の表情に出ていたと思う。ただ、手、特に指先が美しくなく、まるで男の手のようで、この小さな現実的部分から、お菊の悲劇の女性のイメージが、崩れてしまったのは、残念だ。女形は、完全に女に化けてくれないと、いたたまれない。

 乗合船恵方萬歳は、花形や、スター歌舞伎役者が一堂に集まり、華々しく雰囲気の中で、短い時間踊って、楽しませてくれる演目であるが、今回は、松也しか知っている役者がおらず、協力してくれた役者に、少しでも、目立つ役を振る、と言う配慮だろうが、それは内部のこと、私たち観客には、知らない役者ばかりで、面白くはなく、退屈だった。