2017年8月14日(月)『8月歌舞伎三部、野田版 桜の森の満開の下(した)』

 8月歌舞伎座の三部は、野田秀樹さん、作、演出の野田版 桜の森の満開の下(した)である。野田版の歌舞伎は、これまで、勘三郎で、「研辰の討たれ」「鼠小僧」「愛陀媛」の三作を見てきた。歌舞伎以外の野田さんの作品は観たことがないので、分からないが、前三作は、人間の不条理を描いて、生きるとは何か、人生とは何か、を考えさせられた作品であった。しかし、今回の、「桜の森の満開の下で」、は何を言いたいのか、さっぱりわからないで終わってしまった。

 テーマが、何か分からないのは、不安だし、劇に没入できない。鬼は人間そのものであり、人イコール鬼なのだと言いたいのか、東北を治めていた蝦夷を鬼にしているのか、良く分からない。大仏開眼が出て来るが、仏教による鎮護国家を目指す大和朝廷、これに反発する者は、平定されていい存在、皆殺しにされていい存在、鬼なのだ、と言う事なのか。またそうした政策を取った天皇を中心とした大和朝廷の人々が、まさしく鬼なのか、テーマが、最後まで分からなくて、観ていて、辛く、苦しかった。

劇中、鬼退治に向かう、二人桃太郎が出てきた。勘太郎の息子二人が、ついこの間、二人桃太郎を演じたばかりなので、そこをくすぐってみたシーン。「参った、参った」と何度も言って、観客を笑わそうとするが、場内から笑いが起きない。何故ヤクルトが冷蔵庫に入っているのか分からない。野田さんの劇をいつも見ている若い方は、ここで笑えるのだろうが、私は、面白くもなんともなかった。野田さんの向いているファン層への、くすぐり笑いが、私には、少しも面白くない。私の年齢が高いと言う事もあるだろうが、取り残されている感じがして、気分が良くない。

何が何だか、分からないまま、終局を迎え、結局、一番美しく、印象に残ったのが、七之助の夜長姫を、勘九郎の耳男が、鬼の角で、腹を刺し、殺すシーンだった。歌舞伎では、幾多の殺人シーンが描かれてきたが、今まで見た歌舞伎の中で、一番美しい殺人シーンであった。夜長姫が、仰け反りながら、静かに床に倒れるシーンは、感動的で、劇的で、美しい殺しのシーンであった。

6時半に始まり9時に終わった芝居、途中休憩が、20分、2時間10分の、出演役者大熱演の芝居の印象が、最後の七之助の、満開の桜の下、桜吹雪が舞う中の、幻想的ともいえる、美しすぎる殺しのシーンが、一番残ってしまったという事で、本当にこの芝居は、良かったのだろうか。