2017年6月22日(木)「歌舞伎座昼の部、浮世風呂、弁慶上使を観る」

 先日、仕事で見られなかった六月の歌舞伎座の昼の部を、幕見席で、観に行った。浮世風呂が千円、弁慶上使が1500円だった。

 浮世風呂は、舞踊で、常磐津の演奏で猿之助が踊った。「こけこっこう」と鶏の鳴き声が二回聞こえて、朝湯の準備と分かる。㐂のし湯という銭湯の三助が、現れて、湯加減を見たり、板で湯をかき混ぜたり、客の背中を流す姿が描かれる。すると、女形扮するナメクジに言い寄られると言う趣向で、最後は塩をまいて、退散させる。最後に、刺青を入れたふんどし姿の若者が現れ、三助と絡む。刺青、といっても筋彫だけの刺青だったが、若い衆と絡んでお仕舞いになった。滑稽味溢れた舞踊で、女形のナメクジが、ナメクジらしい、動きをして可笑しかった。猿之助の足腰の強靭さと、きびきびとした動きが、印象に残った。

 弁慶上使は、吉右衛門で以前観た。羽左衛門でも観た記憶がある。この芝居は、弁慶が主役である。弁慶と言えば、主である義経に対する忠義の気持ちが溢れた勧進帳が有名だが、弁慶上使は、これまた義経に対する忠義のために行った悲劇である。

 荒筋は、義経の妻は、懐妊のため、乳人の侍の家で静養している。義経の妻は卿の君と言い、父は、反逆人平時忠と言う設定。義経に、謀反の疑いをかけた頼朝は、弁慶に、卿の君の首を差し出せと命じ、弁慶は上使となってやってくる。乳人は、腰元のしのぶに、卿の君の身代わりに死んでくれと命じる。しのぶは受け入れるが、ここに母のおわさが登場し断固として拒否する。実は、しのぶは、お澤が十八年前に、見ず知らずの男と、セックスしてできた子供、我が子の父親に、一目合わせるまでは、娘を殺すことはできないと、断固拒否する。誰だか分からないが、セックスした後に、弁慶は、襦袢の肩袖をおさわに渡していた。おさわは、私とセックスした男は、この襦袢の袖を持って居ると言い張る。と、襖の影からしのぶを刺殺したのが弁慶、しのぶは、刺されて、もう目が見得ない、耳が聞こえないと、弁慶の顔を見ないうちに、死んでしまう。そこに弁慶が現れ、襦袢を引き出すと、なんと同じ柄の袖が現れる。個々で、ようやく十八年前に、一度だけセックスをした男が、弁慶と分かる。実の娘が、父である弁慶に殺されたのに、久し振りに会った弁慶に、髪を撫でつけ、さも嬉しそうな表情を見せる、この辺りが笑い、を当て込んだものだろうが、今では、恐ろしい位の感じがする。乳人も切腹し、弁慶は、娘しのぶと、乳人の、二つの首を持って大泣きして、花道を下がる、というもの。頼朝の命令を受けて上使としてやってきた弁慶、主人である義経を守ろうと、我が子と、襖の裏では、知りながら、あえて顔を娘に見せることなく、刺殺し、首を切って義経の奥さんの卿の君の偽首とする、我が子を殺してまでも、主に忠義を尽くす弁慶であった。

 どうも、この芝居は、隠隠滅滅として、気分が悪くなる芝居だ。主人のため、自分が死んだり、我が子を殺したり、時には、他人の子供を殺してまでも、忠義を貫く芝居は多いが、この芝居は、十八年前の一夜の情事で生まれた女の子供を、顔も見ないうちに、主人の奥さんの変え首欲しさに、殺してしまうと言う、殺人事件だ。親子の愛情があって、それでも忠義のために我が子、を殺すならば、涙が出るが、我が子と知りながら、名乗りもせず、顔も見せる事もなく、あっさり殺してしまうのは、あまりに理不尽で、この芝居を観て入て、私は怒り、を覚えた。歌舞伎に、筋を見てはいけないかもしれないが、芝居に、情が移らない、乗って行けないから、悲しみがわかない。大播磨と呼ばれる、吉右衛門が演じるから観に行ったが、吉右衛門も、この役好きではないのではないかと感じた。悲しみより、苦痛と怒りを感じた舞台だった。忍は、米吉、幸い薄い、悲劇的な女性を、健気に、演じていた。可愛いなと思ったので、可愛そうな感じが十倍した。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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