2017年6月6日(火)『六月歌舞伎座夜の部、鎌倉三代記、御所五郎蔵、一本刀土俵入』

 歌舞伎座夜の部に行く。六月の歌舞伎座は、鎌倉三代記、御所五郎蔵、一本刀土俵入の、若干重い演目三本、見る前から疲れそうなプログラムである。

 鎌倉三代記が始まると同時に、いきなり睡魔が襲い、鎌倉三代記、絹川村閑居の場は、すっかり寝てしまった。三浦之助は、松也が演じ、前髪姿の美しい若武者ぶりをみせていた事だけが印象に残ったが、後は、寝て過ごしてしまった。

 御所五郎蔵は、五郎蔵が仁左衛門、星影土右衛門を左団次が演じた。この芝居は、五郎蔵を演じる仁左衛門の、颯爽としたカッコ良さを見る芝居で、筋はどうでもいいようなものだ。上手にも、花道を特設し、両花道を豪華に使った舞台であった。仁左衛門は、上手花道から出てきたが、白地の着物姿で、出から颯爽として、華があり、動く錦絵のようだった。

荒筋は、こうだ。五郎蔵と土右衛門は、元は奥州浅間家の同僚の武士。五郎蔵は、腰元皐月と不義密通して、お家を追放され、今は侠客の身の上。皐月は、傾城となり、五郎蔵は、その間夫となっている。一方の土右衛門は、皐月に横恋慕していたが、やはり浅間家を追われ、現在は剣術指南をしている。この二人が京都の五條坂で出会う所から舞台は始まる。ここで、土右衛門は、五郎蔵に、皐月を譲るように迫り、一触即発となるが、仲裁が入り、その場は収まる。旧主浅間巳之助は、傾城遭州に入れあげ、200両の借財の返済が迫っている。旧主を救うため、五郎蔵が、200両の金を工面しようとするが、金が出来ない。これを知った皐月が、土右衛門に身請けされる事を約束する事で、200両受け取り、五郎蔵には縁切り状を書く。勿論五郎蔵に、200両の金を送るための見せかけの愛想つかし、縁切りなのだが、縁切り状をまともに受け止めた五郎蔵は、金を受け取るどころか、激怒する。そして郭内で、皐月を切り殺すのだが、実は殺したのは、皐月ではなく旧主の愛している遭州を殺してしまい、しまったと思った所で、芝居は終わる。

五郎蔵は、藩士で、分別があるはずなのに、腰元皐月と不義を働き、お家を追放されてしまった身の上。追放で済んだのは、藩主の思いやりだろう。五郎蔵にとっては、極めて寛大で、ありがたい処置であったろう。だからこそ、その藩主への感謝の気持ちが底流にあり、200両の金を作ろうと焦る。元武士で、今は任侠、ヤクザの親分である。腕もたつし、さぞ気風も良かったのだろう。番隨長兵衛のような人物像を浮かべる。子分思いの、分別のある人だと、想像する。それなのに、人生をかけて愛した皐月が、今は傾城となり、高級売春婦だから、当然、他人にも体を売っている。今は侠客になった五郎蔵だが、よく平気でいられるものだ。この辺の、江戸時代の人の感覚と、現代人の感覚とは、まるで違う。遊郭の傾城とは、現代では、どんな存在なのか、高級ソープ嬢、キャバクラやクラブの女性と同じ感覚なのだろうか。愛する人が、誰にでも体を売る高級売春婦でいいと言う感覚は、今では分からない。五郎蔵は、散々皐月から金をせびりとった事だろう。こう見ると、五郎蔵は、ひもだし、嫌な奴に思えてくる。今ならソープ嬢に付けこむヤクザの情夫である

皐月が、200両を作るために、縁切り状を書き、土右エ門に身請けされると聞いた時に、お互い、駆け落ちした身の上、愛しあい、理解し合っているなら、皐月の言動は、嘘とすぐに分かるはずだが、真正面から、縁切りされたと思い込み、皐月を憎悪し、殺そうとするのだから、五郎蔵は、短絡的過ぎて、人物造形が安易過ぎると思う。これでは、ただかっこいいだけの、見栄っ張りで、女心も理解できない、馬鹿男である。こうなると舞台を見る観客の目は、馬鹿な間夫に尽くす、健気な皐月に乗り移り、愛に生き、愛のために死ぬ、傾城皐月の一大悲劇の物語と思うようになってしまうのである。

 とまあ、筋は、どうであれ、この芝居は、格好良く見せる五郎蔵の役者としての貫禄を楽しめばいいのである。仁左衛門の、五郎蔵は、颯爽として気風が良く、高音で叩きこむ口跡は、はまり役である。こんな人を情夫に持つ皐月は、さぞ幸せ者だと思う。皐月は雀右衛門、五郎蔵への愛情の深さと、思いを分かってくれない五郎蔵への落胆振りをうまく演じていた。雀右衛門は、華があるので、お姫様より、情の濃い傾城、花魁、芸者が似合う、ニンにあう役者である。敵役の土右エ門は、お馴染みの左団次であるが、老けすぎて、重くなりすぎだった。髭の意休ではないのだから、皐月に横恋慕するくらいの、若さが欲しいと思った。歌六が仲裁役の与五郎を演じたが、貫禄ありすぎ。歌六のこのところの充実ぶりからして、もったいない。歌六が土右衛門で、いいのではないかと思った。傾城遭州は米吉だが、若すぎて、可愛すぎて、とても藩主が気に入る傾城には見えなかった。

 長谷川伸の代表作、一本刀土俵入は、何回も見た、お馴染みの舞台だ。酌婦のお蔦と、一文無しの取的、相撲取りの駒形茂兵衛の、一瞬の出会い、そして後日談である。酌婦お蔦、取的駒形茂兵衛、10年経った後の、妻としてのお蔦とヤクザになった茂兵衛、女形、立ち役二人の、演じ分けが、この芝居の最大の眼目である。

筋は書かないが、安孫子屋の酌婦お蔦は猿之助、茂兵衛は幸四郎が演じた。以前、亀治郎時代に、お蔦を見たが、今回は、声を落として、呟きながら、安宿の、酌婦、実は地元のやくざの情婦でもあり、時には売春もする、すれっからしである。毎日酒に浸り、その日暮らしで、疲れ切ってはいても、心の中に、どこか人としての優しさを持っている女である。深川芸者の様に、きっぷもいいし、啖呵もきる。そのお蔦は、通りかかった一文なしの茂兵衛にいくばくの金と、簪を恵んでやる、人情深い女である。世の中の底辺を生きる、明日の希望もない女を、猿之助は、いつもの、これまでもか、これまでもと、上手さを押し付けて来る演技ではなく、上手さを抑えて、淡々と演じていて驚いた。酒でも飲まなければやっていけない、20代半ばなのに、自分の人生の先が見えてしまった田舎町の安宿の酌婦を、悲しくも、時には健気にも見せて、素晴らしいと思った。昼の部の名月八幡祭で、猿之助は、芸者の間夫役で、女から金をせびり取るだけせびり取る船頭三次の厭らしさを、これまでもこれまでもと演じて見せたが、夜の部では、芸の達者ぶりを敢えて抑えて演じて、淡々と事を運び、二階からの、腕の落とし方、指先までも意識して演じて、座ったまま動かないのに、逆に、芸達者ぶりを、細部に宿させ、拡大させてみせると言う演技を見せた。後半は、うって変って、子供思い、亭主思いの健気な女房役を演じた。10年も経てば、人は変わるのだという事を、教えてくれた。綺麗な女形はいても、酌婦と、貞淑な女房まで、ここまで演じ分けられる女形はいない。現代最強の女形花形役者であり、兼ねる花形役者である。

一本刀土俵入のもう一つの眼目は、のっそりとした取的の駒形茂兵衛が、後半きりっとしたヤクザ姿で登場すると言う、一人の役者の演じ分けが楽しみな舞台である。駒形茂兵衛は、幸四郎が演じた。親方から相撲を首になり、希望通り、相撲界に戻れたとしても、とても出世しようもない凡庸な雰囲気を、上手く出していた。取的時代の茂兵衛は、どこか抜けている、牧歌的な造形で、固さもなく、どこか抜けているように見せ、幸四郎の時代物役者の雰囲気を感じさせず、幸四郎が、楽しんで演じているようにも見えた。ただ、後半やくざになって登場してからは、のっそりとした相撲取りから、颯爽としたヤクザになって、見事であった。この役の変化が、この芝居の面白さの一つなので、エンターテインメントとして、楽しく見ることが出来た。ただ、役の切り替えは幸四郎だから見事に演じ分けていたが、ヤクザになってからは、時代物役者の凄味が前面に出すぎて、とても相撲取り出身のやくざには見えなかった。

お蔦の亭主は、松緑が演じたが、気の弱い男を演じようとして、ぼそぼそと語るが、鉄火場で、サイコロに仕掛けをして、金を稼ぐと言う悪党の顔がなく、淡白だった。

舟戸の弥八は、猿弥、おかしみがあり、今後、この役は、持ち役になるだろう。先代猿之助門下で、生き残るのは、猿弥だけかもしれない。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

ニュース, ナレーション, 司会, 歌舞伎, お茶, 俳句, 着物, 元NHKアナウンサー