2017年3月20日(月)『三月大歌舞伎、昼の部。仁左衛門の知盛、明君行状記、義経千本桜の渡海屋と大物浦、ドンツク』

 3月の歌舞伎座の昼の部を観た。明君行状記、義経千本桜の渡海屋と大物浦、ドンツク、の見取り公演だった。

 明君行状記は、備前岡山藩の藩主、池田光政の側近青地善左衛門は、禁猟地と知らず鳥を火縄銃で打ち、そのことを咎めた足軽を切ってしまう事件を起こした。普通なら死罪が順当な所だが、主君光政は切腹を命じない。善左衛門は、禁猟地で鳥を撃ち殺したのは間違いないので、殺せば死罪と高札に書かれてあり、その通りに罰して欲しいと願う。光政は穏便に済ませたいと、配下に、私からと言わず、こっそりと言い含めて、金を渡し、逃げるように勧めるが、善左衛門は、光政の指示だろうと見破り、言う事をきかない。ここで、光政は、ついに善左衛門を呼び、自分で裁判をし、お互いが、思いをぶつける場所を提供し、お互いの言い分を、主張することにした。ここで、主君と家来が、思いをお互いにぶつけるのだが、光政が、臣下を温存して、いざと言う時のために働いてもらいたいと言う思いを語り、穏便に済ませたい気持ちを述べるのだが、何故か善左衛門は、掟通りに死罪にしろと言い張る。

善左衛門は、死罪を願うようでいて、そうでもないようだし、善左衛門は、何を理由に、主君である光政と争うのか、善左衛門の争いの狙い、目的が、分からないので、二人の遣り取りのセリフ術は堪能したが、何を争っているのかと言う、肝心な所が分からないので、正直言って、芝居としては、楽しくはなかった。

善左衛門は、自分がしでかした責任をとるなら切腹して死ねばいいだけだ。封建時代、藩主と、藩士が、こんな風に言い合う事が出来たのか、明治時代に出来た新作歌舞伎であるから、こんな藩主と藩士と言い合いの場面が描けたのだろうが、果たして、封建時代に、こんなシーンが現実としてあったのかと根本的に疑問が生まれた。セリフ術は、梅玉が、会話風に、声を落として、淡々と語りかけ、時には静かに、時には声を荒立て、ユーモアを交えたり、とぼけたりと、自在に台詞を言い、高らかにうたい上げる時は、いつもの梅玉節で聴かせるので、見事だったと思う。梅玉は、熱演タイプではなく、いつも、本気で芝居をしているのかどうかわからない事が多いのだが、今日は、やる気十分で、新劇を思わせる雄弁術に梅玉の役者としての力量、魅力を示せたと思う。大藩の藩主らしい雰囲気が、座っているだけでする。高貴だけでなく、藩主としての頭脳明晰な所も押し出しているし、配下への愛情も感じさせ、さすが明君と言われるだけあるという事が、観客に、台詞と、雰囲気で納得させられるというのは素晴らしいことだ。今、この役を他に誰がやれるのかと言うと、いない。梅玉は、團十郎、勘三郎、三津五郎亡き今の歌舞伎界では、この3人の役者の穴を埋める、貴重な役者なのである。歌右衛門亡き後の雀右衛門を思い浮かべる。雀右衛門は70代、80歳で花を咲かせたが、梅玉はまだ若い、この先が大変楽しみである。

 善左衛門は、亀三郎が勤めたが、亀三郎は、元々声が大きく、はっきりと明確に声を出すので、うたい上げるセリフ術は、梅玉の後継者になれると思った。頼朝の死もできる。会話の中での台詞の闘わせ方は、上手いと思った。だが、声が、高音域で、しかもやたら大きく、変化がないので、疲れた。一本調子なのである。声の出し引きが、今後の課題である。 

続いて、今日の眼目である渡海屋と大物浦、仁左衛門の知盛は、何回も見ているが、すでに知盛は仁左衛門の当たり芸となっていて、定評がある。今回も見て、今知盛を見る上では、最上の役者である事を再確認した。

この芝居は、栄耀栄華を誇った平家が、かつて命を助けた頼朝、義経に、追い詰められて没落し、負け戦に続く負け戦、平家の公達がことごとく、死んでいく中、最後に生き残った平家の武将、知盛が、何とか義経に、一矢報いんとする芝居である。その思いが、仁左衛門を通して、ひしひしと伝わってくる。単に悲壮感だけでなく、渡海屋で見せる颯爽とした姿に、平家全盛のころの、貴族としての優雅さと共に、武勇、知力に優れた武将である姿を見せなくてはならない、仁左衛門が知盛を演じると、ニンに会っている事は、勿論だが、まさしく知盛は、こんな人だったのかと、観客を引っ張っていく役者としての力は大きい。染五郎の知盛を見ると、年齢の若さもあるが、悲劇の武将にしか見えないが、仁左衛門の知盛には、平家全盛時代の知略優れた武将だった知盛は、こうだったと、嘘でも見せてくれるから、凄いと思った。

 渡海屋では、船問屋の主人、銀平を演じたが、長身の体が、颯爽としていて、台詞が、明確で、義太夫に乗り、口跡がはっきりとしているので、気持ち良く見られた。お客を、「商い旦那様」と言うあたりは、すっかり商人になり切り、義経一行に聞かせるあたりは、銀平、実は知盛の大きさを見せた。忠臣蔵の十段目、天川屋義平に通じる、男の中の男とは、こんな感じだと訴えているようだった。日本人が好きな男のタイプである。商いの根本は、やはり客だという発想は、江戸時代、共通の認識だったようだ。仁左衛門の銀平には、船問屋の主人としての誇りを強く感じたし、その一方で、実は知盛なので、武士としての誇り、貴族の高貴な所も見せた。

 大物浦になってから、白い鎧の上に、白い着物をつけていて、これが仁左衛門には、実に似合う。白と言う色が、潔白、正義を表す色なので、仁左衛門の颯爽とした雰囲気とぴったりなのだろう。見得も、きっぱりと決まり、絵姿が、格好がいい。特に、手負いとなり、純白の衣装が血みどろになり、瀕死の手傷を追ってからの、凄惨さ、見得の凄味は、正に錦絵である。高知の血みどろ絵の作者が描いたようで、凄まじい。

 この芝居、知盛が、あれだけ源氏を恨みに思っているのに、何故、義経が「天皇は私が守る」と言った後、「昨日の敵は今日の味方」、と言う心境になるのか、やはり分からなかった。平家一門のいただく安徳天皇、平家滅亡で、安徳天皇を殺してしまっては、申し訳がない。そこで、義経が、天皇は、私が守ると言ってくれたので、安心したのか。私には平家一門が、安徳天皇に、見捨てられたようにしか思えなかった。何で昨日の敵は、今日の友と、知盛は、言ったのであろうか。

安徳天皇を守護してきた平家一門、その最後の武将知盛が、最期の戦いに敗れ、義経方に渡った安徳天皇が、「知盛これまでご苦労様」と言った瞬間に、これまで守護してきた安徳帝に、裏切られた感じがしたのかもしれない。義経に最後の戦いを挑み、敗れた以上はもうこれまでと思い、安徳天皇の今後は、義経に託す気持ちになり、「昨日の敵は今日の味方」と言う言葉が出たのかは分からない。この芝居を見る度に、永遠の謎なのだと思う。私なら、「恨み果たさず、死ぬべきや」と叫んでいると思うが。

 この芝居は、知盛が、縄を体に巻き付け、碇を海に投げ捨て、後ろ向きに、海に飛び込むシーンが、最大の見どころになっている。実際の舞台では、発泡スチロールで軽く作っている碇を、さも必死の形相で、担ぎあげ、海に碇を投げ捨て、後ろ向きにジャンプして海に入るのだが、死ぬ前の必死の動きが、痛々しく、悲壮感が増して、素晴らしかった。

 義経は梅玉。立っているだけで、高貴なイメージが出て来るので、ニンがあるのは、お得だと思った。ここの義経は、武士の統領のイメージは無くていいので、戦略家であり、しかも上品な雰囲気は、十分に出ていた。

 最後のどんつくは、三津五郎三回忌追善狂言として、息子の巳之助が演じた。三津五郎はすました顔で、滑稽味を溢れさせて踊っていたが、巳之助は、目がぎょろりとしすぎていて、亀蔵のようで、滑稽味が薄い感じがした。海老蔵、菊五郎、魁春、時蔵、松緑、亀三郎、が出演して、色を添えていた。三津五郎で感じた、さりげないおかしみは、巳之助にはなかった。出のあたりは、馬鹿っぽく見えて、三津五郎の子供が、これでいいのかと思った。今後の精進を祈りたい。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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