2017年3月12日(日)『国立劇場3月公演。伊賀越道中双六』

 国立劇場の、伊賀越道中双六を見る。前回の平成26年12月の国立の公演を観ているから、二度目になる。沼津は良く出るが、岡崎は、なぜか出ない。前回観た時、いくら仇討でも、話が陰々滅滅で、救いがないので、度々は、出ないのかもしれないと思ったものだ。今回も唐木政右ヱ門を吉右衛門が勤め、主な登場人物は、前回と変わりがない。

 寛永11年、1634年、11月、岡山藩士の渡辺数馬は、姉の壻の荒木又右衛門の助けを受けて、弟の敵、河合又五郎を討ち取る、敵討があった。通称、伊賀上野の敵討ちとして、その後、講談や、芝居の題材に取り入れられるようになり、日本の三代敵討ちの一つとして、世に知られるようになった。

この仇討ち事件を脚色した近松半二の最後の作品が、この伊賀越道中双六で、天明3年、1783年、4月人形浄瑠璃で初演、その年の9月には、早くも歌舞伎化された。伊賀越道中双六は、双六のように場所を変えて、敵討ちの苦労を描く作品で、沼津が良く出るが、今回は、岡崎を中心とした通し狂言で、沼津は出なかった。

 仇討ちものとしては良くできた作品で、艱難辛苦を耐え抜いて、仇討に成功するという物語は、日本人好みで、親同然の剣の師匠との久し振りの出会いのほのぼの感、その師匠を敵討の為とは言え裏切る心の内、秘密を保ち、敵の行方を探るためには、雪の中、一夜の宿を頼む親子を、妻と知りながら家に上げず、徹底的に拒絶し、ようやく家に上げた我が子を殺すという犠牲を払う悲劇もあり、これでもか、これでもかと、心理的に追い詰められる政右ヱ門の苦悩を、じっくりと見せ、歌舞伎の醍醐味を堪能した感じがした。が、見事仇討を成功させても、なにか心の中が、しっくりこない、仇討ち成功を完全に喜べない自分がいて、驚いた。

何故なのだろうか、敵討ち成功への犠牲が余りにも大きく、我が赤子を殺して、庭先に捨てるなど、理由はともあれ、仇討ちを遂げるためには、何でもするという行為が、余りに人間離れしていて、人の情を超えていて、いくら江戸時代の武家の敵討ち物語とはいえ、心から、喝采を叫べないのである。

江戸時代の敵討ちは、自分の家の浮沈がかかり、敵を見つけ、仇を討たなければ帰参できず、家を再興できず、禄をはむ事も出来ないという江戸時代の敵討ちという物が、もう今の時代理解できなかった。

仇討ち成功のためには、すべてを犠牲にするしかなかったのである。敵討ちのためなら、自己犠牲を払うのは当然で、殺される側の人権意識など入り込む隙間はない。敵討ち成功という目的のなら何でもするという時代を、現在、当時と同じように認識することが、現代では不可能なのだ。歌舞伎で敵討ち物は多くあるが、物語が、余りに残酷すぎて、辟易して、敵を討っても、めでたしめでたしとは、思えないのだ、

志津馬の放埓が原因で、志津馬の父は、股五郎に殺され、志津馬の娘と政右ヱ門は、不義をしたため、志津馬の敵討ちの助太刀をする羽目に陥り、我が子まで殺さなくてはならなくなる政右衛門の悲劇は、涙を拭う。親代わりの剣の師匠との十数年ぶりの再会の喜びと、その師匠を裏切る辛さ、心の苦衷を、吉右衛門が、見事に演じ、相手役の幸兵衛の歌六が、吉右衛門と、互角に演じて、歌舞伎に深さが出たと思う。歌六は、吉右衛門の配下に入り、年齢を追うごとに、上手くなって、歌舞伎には、無くてならぬ役者になったと思う。 

忠臣蔵は、バカ殿の短慮が原因。伊賀越道中双六はバカ息子の遊び放埓が原因、同じ馬鹿でも、双六の方は、助太刀の政右ヱ門は自分の子供を殺す悲劇となり、仇討ちを果たしたバカ息子の志津馬は、将来が約束されるという皮肉までついている。

吉右衛門の唐木政右ヱ門が、実に、それらしくて、素晴らしかったが、自分の赤子と初めて会い、いきなり首に刀を突き付けて殺してしまうのは、いかに吉右衛門が、悲劇性を持って演じても、今の時代から見ると、赤子を殺し、庭に捨てる行為は、納得できるものではないし、江戸時代の観客にも、妥当な行為とは思えず、なにか無理やり感が漂い、苦しい筋立てだったと思う。

 今日の眼目の、岡崎の舞台。親を股五郎に殺された志津馬は、奪った書状を使い、股五郎になりすまし、股五郎方の幸兵衛の家に泊まる。この直後、幸兵衛は、少年時代に剣術を教えた愛弟子の庄太郎と再会し、妻のおつやと歓待する。幸兵衛は、庄太郎に、股五郎の助太刀を頼むと、正太郎は同意。同意すれば、敵の今の所在が分かると踏んだのだ。幸兵衛は、庄太郎が、唐木政右衛門とは知らない。政右衛門は、素性を隠し、股五郎の居場所を聞き出そうとするが、幸兵衛は話さない。そんな折、降りしきる雪の中、偶然幸兵衛の家に、政右ヱ門の妻のお谷が、乳飲み子を抱えて、一夜の宿を頼みに、幸兵衛の家に来るのだが、素性がバレると、敵の行方を聞き出せないと、政右衛門は、お谷を追い返しただけでなく、自分の幼子を殺してしまう。あくまで幸兵衛の味方になり、股五郎に助太刀をする、強い意志を、幸兵衛に示すのだが、ここの作劇が過ぎて、悲劇性を高める作為を感じ、なにか作り物をめいて、歌舞伎の酔いが醒めてしまうのだ。あまりに都合よくできていて、歌舞伎とはいえ、我慢が出来ない。幸兵衛は、さすが、剣術指南だけあり、政右衛門が赤子を殺す際の、目に浮かぶ涙で、素性を見抜く。このあと股五郎と嘘をついている志津馬と合わせるが、この嘘も既に見破っている。幸兵衛は、政右ヱ門が、我が子を手にかけても欲しい股五郎の行方を教える。ここで、志津馬を一目で気に入り、我が家に泊まらせ、思いを遂げようとしたお袖が、尼姿で登場して涙を誘い、岡崎は幕を閉じる。我が子と妻が、雪の降る中、寒さに震え、軒先にいて、一夜の宿を頼んでいるのに、それを無視して、煙草を刻むシーンがあり、莨場として有名だそうだが、お谷と顔を合わせず、煙草を刻みながら苦衷を表すが、何で、そうまでしないといけないのか、現代の尺度で見ると、分からず、さらに、素性を悟られないように、乳飲み子を殺して、庭に死骸を投げ捨てるシーンは、今の時代では、残酷すぎて、話しについていけない。仇討が見事成功に終わっても、心から喜べない自分。