2017年1月26日(木)『国立劇場初芝居、しらぬい譚』

 国立劇場の正月公演を観に行った。毎年正月恒例の、菊五郎劇団総出演の歌舞伎公演で、今回は、河竹黙阿弥の「しらぬい譚」である。

 なんといって言っていいのか、その幕その幕には、様々な仕掛けがあり、楽しい時間が過ごせたが、歌舞伎終了後、永田町駅まで、歩きながら振り返ると、どんな芝居だったのか思い出せず、どんな筋だったのかも、はっきりしなかった。

菊池家に滅ぼされた大友家の一子、若菜姫が、妖術を使い、菊池家に復讐を計る物語だったな、位の印象は残ったが、結局のところ、菊之助の前髪の美少年姿が、うっとりするほど美しかったのと、菊五郎の、さらりと演じる捌き役の、カッコよさ、元気さが印象に残っただけだった。芝居としては、心を打たれたところはないし、面白くなかった。

なぜ、面白くなかったのか。歌舞伎を見て30年近くになるが、歌舞伎に求めている物が、私の観劇歴と共に変化していることが、大きな理由だと思う。若い時分なら、海底に沈む鐘の周りを泳ぐ魚の仕掛け、屋根の上で、眼がらんらんと光り、口からは煙を出す大きな猫、猫の姿をしての変化に富んだ立ち回り、菊之助の観客席の上を斜めに動く宙乗り、去年話題になった、亀蔵扮するピコ太郎の登場など、様々な仕掛けや工夫が一杯で、面白かったと思ったかもしれない。ただ30年も歌舞伎を観てくると、しらぬい譚の芝居で、私の心の琴線に触れることはないし、義理や人情の複雑な絡みもない、親子の情愛もない、総じて、私の心に迫って来たものは何もなかったのである。芝居を観終わると、空虚さだけが残ってしまったのである。

 と、まあ深く考えないで、芝居の中に、合邦の玉手御前や黒田騒動、岡崎の猫のいい所どりで、ニンマリと笑い、菊之助の美少年姿を堪能し、菊五郎の元気さを見、様々な仕掛け、スペクタクルなシーンを堪能すれば、それで十分、初芝居で、正月らしさを、堪能して、家路に着けば、それはそれでいいのであろう。年に一度、国立劇場に足を向け、満足して帰る客も確かにいるだろう。初芝居は、そんなものと割り切れば、正月の時間潰しには、丁度いいのかもしれない。

 しかし、芝居に感動して涙を流したり、人情の機敏に心を動かせるものもなく、現代の視点で、しみじみする処も、共感する処もない。こんな初芝居を、開場50年の国立劇場は、今後も続けるのだろうか。