2017年1月2日(月)『歌舞伎座正月公演昼の部、染五郎四役の大奮闘、将軍江戸を去る、大津絵道成寺、沼津』

 二日は、歌舞伎座が正月興行の幕を開ける、いわゆる初芝居である。もう20年来の恒例行事になっているのだが、初芝居に、今年も出かけた。歌舞伎座の昼の舞台には、愛之助が出演するので、藤原紀香が来ていると思い、幕間に1階のロビーに行くと、すらっとした、長身の藤原紀香が、和装で、贔屓筋と談笑していた、遠巻きに写真を撮る人もいた。今月は、来年幸四郎を襲名する染五郎が四役務める奮闘公演になっている。

 正月なのだから、華やかな舞台を観たいが、最初が、将軍江戸を去る、続いて大津絵道成寺、最後が沼津である。将軍江戸を去るは、真山青果の作、演出によるもので、昭和9年に初演された、いわゆる新作歌舞伎である。徳川第15代将軍、徳川慶喜という歴史上の人物の江戸最後の日々を描いた作品だが、将軍家も勤王家だと言う設定が、戦前の天皇中心の国家感が出ていて、時代を考えさせる。勤王で知られる水戸藩出身の慶喜は、将軍として、錦の御旗を立てた反乱軍である、薩長土肥に、徹底して戦わなければならない存在なのに、戦いの最中、大阪に味方を置き去りにして、大阪から逃げ帰った、情けない人物である。謹慎するなら初めから謹慎すればいいのに、戦って、やばそうだと思うと、逃げるという、旗幟鮮明にせず、権謀術数はあったのだろうが、一貫性が乏しく、存在感があやふやな人物である。だからなのか、慶喜の悲劇に、今一歩共感できないのかもしれない。日本語の強さが、真山青果の神髄なのだが、染五郎は、歌い上げようとするばかりに、声が高くなりすぎて、聞きずらい感じを受けた。梅玉が言っていたように、肝心なところは、逆に、うたい上げない方がいいようだ。 

 次は,愛之助の大津絵道成寺。坂田藤十郎で何回か見たが、愛之助では、初めて見た。道成寺と名前がついているが、舞台は近江の三井寺に代わっている。京鹿子娘道成寺を元にした五変化舞踊である。河竹黙阿弥の作品だ。愛之助が、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、最後に大津絵でおなじみの鬼と、変化する舞踊である。愛之助は、元々可愛い顔立ちなので、女形も綺麗なのだが、踊りが、固い印象で、踊り慣れていない感じがした。

 最後は、沼津、吉右衛門が十兵衛、雀右衛門がお米、歌六が平作を演じた。親子が敵味方に分かれて、子供から、敵の住まいを、父親が聞き出す、最後は腹を切って、教えを乞うという物語なのだが、ここだけ見ていても、筋が分からないので、いらいらする。親子のすれ違いの情愛を演じるのが、この舞台の焦点だろう。棒鼻では、重兵衛と、平作の会話が、コミカルで、手な慣れた雰囲気がいい。歌六の実力が増して、吉右衛門と五分に渡り合えるようになったので、こうした味がでてきたのであろう。平作住家は、変化がないので、寝てしまった、お米が重兵衛の印籠を盗むところから話が面白くなるので、起きた。ここも、何でお米が、重兵衛の印籠を盗むのかわからないので、止まってしまう。千本松原では悲劇が起こるのだが、吉右衛門の情愛に溢れた台詞が胸をうった。

 一月の昼の部は、正月としては、地味な舞台だと思っていたが、吉右衛門の熟成を極めた台詞術、染五郎の四役の大奮闘と芸域を広げるセリフ劇への挑戦。愛之助の、変化舞踊の挑戦と、新年らしい趣向なのかもしれない。