2016年7月13日(水)『国立劇場歌舞伎鑑賞教室、三十三間堂棟由来』

 国立劇場の第90回歌舞伎鑑賞教室の演目は、三十三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)だった。

簡単な筋を書くと、場所は、熊野三山。神様の力が及ぶ神域であって、こんな話もあるかもしれないと思わせるシチュエーションである

その話とは、人間と動植物の精の結婚という「異類婚姻譚」で、武士と柳の精の結婚と、別れの悲劇が眼目となっている。この演目では、柳の大木が切られる寸前、柳に引っかかった鷹狩の鷹を、武士が弓で助け、柳の木の精は、切られないですんだお礼に、この武士と結婚し、子供をもうける。5年後、白河法皇の命令で、三十三間堂を建立することになる、突然、柳の木が切られる事になってしまう。柳の木が切られると、柳の精も死んでしまう。突然の、夫そして、子供との別れが、涙を誘う。切られた柳の木を、引っ張って運ぶ道中に、大木が、急に動かなくなる。すると、柳の精の子供の緑丸が登場し、母との別れをし、綱を引っ張ると、大木が動く。そこに、幽霊となった柳の精が、宙乗りで登場し、我が子を見つめるというストーリーである。

 柳の精は魁春。夫となる横曽根平太郎を坂東弥十郎。魁春は、こうした薄幸の、悲しい役は、にんにあり、ぴったりとはまっていて、子供との別れ、夫との別れを、情を溢れさせて、でも下品にならず、お涙頂戴にならず演技していて、今の歌舞伎では、この役は、魁春しかいないだろう。弥十郎の平太郎は、いくら白塗りにしていても、体が大きく、がっしりと、堂々としてい過ぎて、役にはまらない印象を持った。そもそも舞台に出てきたところで、柳の精と結婚するイメージが湧かない。つまるところ、ニンにない役回りだろう。この役は、今の歌舞伎で言えば、梅玉の名前が上がるだろう。彼なら、品があり、柳の精と結婚するとしても、不自然ではないだろう。

 この話の現代的意味を考えると、自然との共存と言う事を考えた。柳の大木は、百年以上も、その地域に根を張って過ごしてきた自然を代表するものである。その柳の精と、旅の途中の武士とが、柳の木が切り倒される危機を回避してくれたお礼に結婚する。自然が維持されたことの御礼としての結婚である。それから5年、天皇の命で、三十三間堂を作ることになり、その材料として、柳の木が伐採されて、供出されることになる。いわば自然の破壊である。自然の維持と、自然の破壊、自然の破壊は、天皇という時の最高権力者の命令一つで行われる。人間の意思一つで、自然は、簡単に破壊される可能性がある、ある種の警鐘だと理解した。異種婚姻譚は、最後には、悲劇に終わるのが常だが、自然への畏敬をいまこそ持たなければならない警鐘だと考えさせられた。

 今日は、高校生が、9割の客で、開幕前は、まるで、動物園のようなうるささだったが、幕が開くと静かに歌舞伎を見ていて、立派だった。先生が現場監督として一緒に来ていたので、監視体制が効いていたのかもしれない。1割方が寝ていたが、ほとんどの皆さんが、熱心に舞台を見続けていた。高校生に、今日の演目が、どう伝わったかは分からないが、今後、この中から1割でも歌舞伎ファンが生まれて、歌舞伎を見てもらえれば、嬉しいと思った。