2016年7月2日(土) 歌舞伎座7月昼の部『柳影澤蛍日、柳沢騒動と、流星』


七月の歌舞伎座は、昼が、柳影澤蛍日、柳沢騒動と、流星の二本立て、夜は、荒川の左吉と、歌舞伎十八番の鎌髭、景清である。海老蔵と、猿之助、中車が顔をそろえる。大看板はお休みにして、花形で公演をおこなう、夏の歌舞伎座である。荒川の左吉以外には、観たことがない演目なので、楽しみである。

今日は、歌舞伎評論家や、マスコミ関係の招待日で、松竹のお偉いさんたちが、ロビーに集結していた。そのせいか、わからないが、元NHKアナウンサーの山川静雄さんと、三階席の通路で、会う事できた。

 今月の歌舞伎座は、海老蔵と猿之助の奮闘公演で、昼は、海老蔵の主演で、柳影澤蛍火、(やなぎかげさわのほたるび)。昭和45年に国立劇場で、初演された宇野信夫作の新作歌舞伎だ。

 将軍の妾に、自分の許嫁を送りこみ、自分の子を、将軍の子として次代の将軍に擁立し、自分は、幕府の最高権力を握ろうという、柳沢吉保を海老蔵が主演する。歌舞伎では、国崩の大悪人、この大悪人をどう海老蔵が演じるかが、舞台の大きなポイントだ。

 物語は、五代将軍綱吉の時代、異例の昇進を果たした柳沢吉保の出世物語で、吉保を海老蔵、綱吉を挟んで、ライバル関係になる僧の護持院隆光をもってきて、こちらは猿之助が演じた。

初幕は、柳澤吉保の若かりし時の物語で、江戸市内で、浪人の息子、将来の吉保になる弥太郎が、書道の先生をしながら、父と、許嫁のおさめと三人で、貧乏ながら幸せな生活を送っていた。この頃の吉保の青年時代は、海老蔵は、将来悪役になる事を見越して、実におとなしく、柔和で、気品さえ感じさせる演技を見せた。まるで光源氏を演じている時のように、伏目で、視線を、下から少し上目遣いに上げて、ゆっくりと、静かに動かす演技を見せた。凛とした佇まいを見ていると、つくずく美男役者だと思った。おそめは右近で、愛情と、優しさが十分に出ていて、こちらも綺麗な女形であり、美しい若手の女形が少ない中で、これから楽しみな役者だと思った。初幕は、弥太郎の父が、犬を蹴って咎められ、役人に殴られて、殺されてしまう所で、終わった。

 舞台が変わって、三年後、弥太郎は、綱吉に三百石で召し抱えられ、すでに浪人から異例の出世をしている。綱吉に眼をかけられて、取り立てられたあたりは、省略されている。舞台は、将軍御座所。ここで、弥太郎を忌み嫌う、僧の隆光が登場して、「弥太郎を大嫌いだ」と、将軍の前で言う。隆光は、弥太郎が、金太郎のような腹掛をしていると訴え、将軍の前で、腹掛を脱がせられてしまう。腹掛には、「三百石で取りたたてくれた綱吉の恩を一生忘れない」と、書かれていた。綱吉は、喜んで、五百石に加増する。綱吉は中車。偏愛ぶりを、内にも外にも見せて、好演だ。このあたり、綱吉が、美しい吉保を、男色の相手としても、重用した裏の事情が、まったく舞台上では、描かれていないので、なぜ吉保が異例の出世をしていくのか疑問が残った。僧隆光の気味悪さ、いやらしさを、猿之助、これでもかこれでもかと、突っ込んだ演技、悪の魅力を振りまいて、海老蔵を相手に、憎たらしく手強い敵役を十分に見せていた。

 桂昌院は東蔵。百姓の生まれで、三代将軍家光の手がつき、生れた子供が将軍綱吉になり、将軍の生母になったというだけで奉られ、偉くなってしまったという今の位置。百姓の娘から将軍ご生母になったという、落差の大きな役ながら、色好み、下品さ、貪欲さを、狂ったように演技した。ベテランの女形が払拭している中、重宝で、便利で、貴重な役者だが、その芸の力量を、十分に見せてくれた。

吉保が、将軍綱吉と男色関係にあっただけでなく、将軍の母の桂昌院とも関係を持ったと描かれるが、出世には、繋がったかも知れないが、こんな事をすれば、綱吉にバレるのは、必定で、身の破滅を招くことになるので、見ていて、そんな馬鹿な事あるわけないよ、と思ってしまう。この辺さらりと舞台は進み、深みがない。

 吉保の悪逆さが、舞台上で、あまり感じられず、主導するのは、仲間たちであり、積極的に関わっていないように見せ、舞台が、淡々と進み過ぎ、悪のコクがない。許嫁を、綱吉に手を付けさせるため、現代の美少年コンテストのような小姓コンテストに参加させ、小姓姿で、城に上らせるアイディアも、吉保が主導したのではなく、友人の権田大夫の差し金と見せると、吉保の悪が引き立たない。

 舞台は変わり、五年後、綱吉には子供ができ、吉保は十三万五千石の大名に出世している。女嫌いだったはずの綱吉の寵愛の深いお伝の方が登場する。吉保は、将軍の子供を孕んだお伝の方を、姦計をもって.不義の子供と白状させて、綱吉が成敗してしまう。この辺も、幼馴染のおさめの子供を将軍の後継者にしようと目論んだ吉保が、邪魔になるお伝を抹殺しようとした悪逆さが出てこない。

 五年後、吉保は、十五万石の大大名に出世している。吉保は、病床の桂請院に呼ばれる。ここで、吉保が半年もご無沙汰、セックスの相手になってくれないと、恨み事を言い、更に、桂昌院は、吉保が将軍のお手付きのおさめに、子供を産ませ、将軍の後継にしようとしているのを知っているぞ、と脅される。そこで吉保は桂昌院を殺してしまう。将軍の聖母を自らの手で、絞め殺すのだが、これまでの悪逆非道ぶりが描かれていないため、いきなり将軍の生母を殺してしまうという設定が苦しい。もっと徹底して、国崩しの悪役ぶりを、ストーリーの中に織り込まないと、顔だけが、悪役の作りになっていて、淡白な印象を受けた。

 それから一年が経ち、吉保は、六義園で病で臥せっていると、おさめの方が訪問し、昔を懐かしむシーンがあり、しっとりとするが、突然隆光が訪問し、二人が結託して、ここまで来たことが、分かる仕掛け。腹巻の一件も、二人が企んだという事が分かる。歌舞伎独特の、実は、の世界になるが、吉保と隆光の敵対関係が、劇の中で、余り描かれておらず、この実はが、いきない。吉保と縁を切り、反吉保派に収まりたいという隆光が、縁を切りたいと申し出てるや、隆光を殺してしまう。

最後に、おさめの入れた濃い茶を廻し飲むが、おさめが毒薬を入れ、心中を図る。ここで、吉保は、青年の頃の純真な心に戻り、切腹して果てる。人間何が幸せなのか、出世したいという欲にかられ、出世し、悪逆非道の限りを尽くし、栄耀栄華を手に入れたが、決して幸せにならなかった。許嫁であった、おさめの無理心中に、怒り狂う事なく、同意して、毒に苦しみながら、最後は切腹して死んでいく。「愛する人との時間が、一番幸せなのだ」、という、極めて教訓的な幕切れで、終わる。悪逆非道の吉保が、最後は、善人に戻って死ぬという、歌舞伎にありがちなパターンである。

 初めて見た芝居だが、吉保が、綱吉に取り入り、男色関係になり、どんどん出世していくあたりが、ほとんど描かれておらず、なぜ吉保が出世していくか、よく分からなかった。なぜ吉保が、綱吉に気に入られ、寵愛されて、よもやの大出世を果たしていくのかと言う、その過程がないので、吉保がいつから悪人に変わったのか、その境目が分からないし、筋も分からない、出世の発端が、許嫁を、現代の美少年コンテストのような幼小姓フェスティバルに参加させ、綱吉に目に留まり、手がついた、というだけでは、表の関係に終わり、綱吉が、美形の吉保を、愛し、破格の待遇を与えたという、裏の男色出世物語が欠落しているので、どうも吉保の人間が見えてこない。悪逆非道と言いながら、自分がリードして、悪を押し進めていくという訳では無し、周りの勧めで、あくどいことを遣ったというのでは、悪の魅力を造形ができない。

 つまるところ、海老蔵が、国崩しの悪人を演じると言うだけが魅力なのに、どんな主導的に、悪逆非道を尽くすのかと言う所は、語られておらず、中途半端に終わった。隆光とのライバル関係も、強烈に描かれず、最後に実は、二人が協力して、綱吉に取り入ったあたりが、さほど驚かない。

 おさめの右近が、綺麗だった。桂昌院の東蔵が、下品で、性欲の強い役を、いかにもいやらしく演じ、芸の力を見せつけた。

もう一本は、猿之助の踊りで、流星。昔は、夜這い星という名の踊りだったそうだ。男の鬼、奥さんの鬼、子供の鬼、おばあさんの鬼の四役を、面を被って、踊り分ける。三津五郎で、見た記憶があるが、三津五郎の踊りは、余裕で踊り分けていたのに比べて、猿之助は、熱のこもった、大げさとも思える程、役を分けた踊りで、子供からおばあちゃんの鬼に切り替わった途端、足の進め方、歩幅、足の向ける方向まで変わってくる。三津五郎、勘三郎亡き後、ここまで演じられる人は、他にいるのだろうか。猿之助のこれまでか、これまでかと攻める踊りを見ていると、サービス精神一杯で、商売人だなと思う。猿之助の力量を知らしめて、歌舞伎座の観客は大うけだった。最後は、宙乗りで、満場の拍手をうけ、賑やかに終了。先月は、狐忠信の、猿之助、歌舞伎座初の宙乗りを見に行ったのだが、宙乗りの失敗、不首尾で、見られなかったので、その分も入れて、猿之助の宙乗りを、嬉しく、愉しく見た。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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