2016年5月6日(金)『団菊祭五月大歌舞伎。競獅子音羽花籠、三人吉三巴白浪、時今也桔梗旗揚』
団菊祭五月歌舞伎の夜の部、最初の幕は、競獅子音羽花籠で、菊之助の長男,寺嶋和史の初お目見えの目出度い舞台である。菊五郎の息子である菊之助と、吉右衛門の娘が結婚してできた子供だから、菊五郎、吉右衛門にとっては、孫にあたる。菊之助を真ん中に置き、我が子を抱いて、左に吉右衛門、右に菊五郎が並び、おじいちゃん二人は、嬉しくて嬉しくて仕方がない景、こちらも幸せを分けてもらえる気持ちになる。団菊祭ならぬ、吉菊祭のようだ。本当に、和やかなシーンだった。和史君は、父の胸に抱かれて登場したが、眠くて仕方がない様子、挨拶もできなかったが、満員の観客に、手を振る愛嬌を見せて、満場の拍手を受けていた、将来を約束された和史君だが、64歳の私は、和史君が、いくつに成長するまで、観ることができるのだろう。なかなか豪華な舞台で、梅玉、左団次、海老蔵、松緑、彦三郎、等が並んだが、とりわけ、女形、時蔵、雀右衛門、魁春の三人の芸者が、舞台中央に出てきた時には、豪華だなと思った。歌舞伎を支える、女形三人が、同じ舞台に揃う事はめったになく、眼福だった。この舞台に、福助がいればな、勘三郎、三津五郎がいればなと、舞台の幸せな光景を見るにつけ、悲しくなった。
次は、三人吉三巴白浪。菊之助のお嬢吉三、海老蔵のお坊吉三、松緑の和尚吉三、菊之助は、ひたすら美しく、海老蔵も、美しさに引けを取らない。この二人が、河竹黙阿弥の七五調のセリフを、まるでオペラのアリアのように、言うのを聞いていると、うっとりとして、時間が経つのを忘れる。しかし、百両を巡り、この二人が争う時に、松緑が、痩せた、妙な顔で出てきて、喧嘩を止めるのだが、美のバランスを崩し、舞台の美しさをも壊してしまう。声もくぐもって、何を言っているのか、はっきりせず、よけいイライラする。おまけに、痩せた顔に、妙なメイクを施しているから、貫禄も感じないし、目がぎょろっとしていて、気持ち悪い。この役は、松緑には、似合わない、松緑のニンではないのかもしれない。松也が、お坊吉三をやり、海老蔵がお庄吉三を勤めれば、舞台が、より美しく、綺麗なのにと思うが、これは夢か。
三つ目は、松緑の時今也桔梗旗揚。見て居られない、一時間二十分、辛かった。声が、くぐもって、しかも暗いのだ。声に魅力が全くない。メイクも変。終始暗いイメージで疲れる。馬盥で、酒を飲ませられ、このあたりから、信長への反逆が芽生えるはずなのに、この腹が感じられず、役を演じているだけで、余裕がない。最後上司二人を切って、反逆心を顕すのだが、顔だけで、演じていて、心が入らず、ギョロ目だけが目につくだけで、カタルシスをまったく感じないのは、どういう訳だ。
最後は、菊之助と海老蔵による、男女道成寺。二人とも、ただただ美しく、夢のように時間が過ぎていく。お金を払って、観にきて、本当に良かった。チケット代金が、安く感じる道成寺であった。菊之助の視線の飛ばし方が、玉三郎から学んだのか、余裕があり、美しい。海老蔵も、最初に、女形の成りで、登場し、十分に美しい。歌舞伎の舞台は、美と夢を見る場所なのだ。菊之助のピンで踊る娘道成寺だけでなく、海老蔵の娘道成寺を見たいものだ。勘三郎、三津五郎も踊ったのだから、海老蔵もきっと踊れる。最後は、菊之助が鐘に登って決まり、海老蔵は、舞台で決まり、お開き。気持ちよく帰る事が出来た。
0コメント