令和3年7月09日(金) 『歌舞伎座2部、身替座禅、鈴ヶ森。3部鳴神不動北山櫻を見る』

歌舞伎座二部、身替座禅、鈴ヶ森。三部、鳴神不動北山櫻を見る。

二部は、幸四郎と芝翫で身替座禅。吉右衛門休演で、錦之助の幡隋院長兵衛、白井権八を菊之助が演じた。

身替り座禅は、白鸚が初役で右京を演じた。おっとりとして、ごく自然に、軽く演じていて、芝翫は玉ノ井を、結構大袈裟に手ごわく演じ、恐妻振りをみせていたので、極めて対象的に見えた。芝翫が余りに強く出て、恐妻振りを押し出すのは、喜劇らしくは見えるが、本当は、心底右京を愛している面が薄くなったようにも見えた。どうしても菊五郎の右京と比べてしまうが、白鷗の右京には、決定的に愛嬌がたりないと思った。右京が、恐妻家で会っても、基本的に色好みに見えないところが残念だった。橋之助の太郎冠者は、松羽目物の太郎冠者にはみえなかった。

鈴ヶ森は、菊之助の権八、錦之助の長兵衛。吉右衛門が休演で、錦之助が務めた。吉右衛門が休演で、あまり期待しては見に行かなかったが、錦之助の長兵衛は、堂々としていて良かった。セリフ回しに工夫があり、一言、一言の言葉が重くて、それでいて、江戸っ子らしく、きっぱりしていてよかった。菊之助の白井権八は本役なので、美しくていい。前髪の美少年で、ただ奇麗なだけでなく、愁いも感じ、心の中では、殺人を犯したお尋ね者の不安を持ち、長兵衛に出会い、自分のこれからの人生を長兵衛に掛けた、その心の変化が良く分かった。刀を抜いて、花道七三で、左脚を伸ばして、右手の刀を左に流し、左手を添えての決まりが、つけが入らず、すっときまって、美しかった。

雲助との立ち回りは、手や脚を落とされたり、顔を削がれるのはいいとして、肉を切られて骸骨になるのは、意味不明でやりすぎ、立ち廻りの時間を延ばしたとしか感じなかった。

第三部は、海老蔵五役早替わりの雷神不動北山櫻。出の海老蔵の鳴神上人が、眉目秀麗な僧で、上品な所をたっぷりと見せ、その後の転落、堕落との落差が激しくて良かった。でも早い段階で、好色に走り出し過ぎで、色気たっぷりの鳴神上人になってしまった。これは海老蔵の目に、生まれ備わった色気、妖気があるからであろう。児太郎の絶え間姫も,始めから色気がたっぷりとあり過ぎで、現代的ではあるが、色気で鳴神上人を落とす魂胆がみえみえに見えた。最初は、慎ましさがないと駄目だろう。胸に手を入れさせて、上人を堕落させ、酒を飲ませるくだりは、強く出すぎていて、2部の身替り座禅を見たばかりだったので、まるで恐妻のようで、怖かった。でもエロイ雲の絶え間姫だったと思う。いつもなら庵室に入り、破戒僧の顔メイク、隈取をするのだが、舞台中央で酔いつぶれ、たくさんの僧に囲まれて、隈取を付け、鬘を変える早業には驚いた。

毛抜きの粂寺弾正もエロ路線で、こちらも楽しく見た。今ならセクハラ、パワハラだろうが、若衆や腰元を口説くシーンも、好色な男性的な弾正だった。江戸時代は、女、男と平行移動でセックスの対象とする社会があった事に、今なら驚くが、当時はこれが当たり前だったのだろう。髪の毛が逆立つのが、天井から磁石で鉄の髪飾りを引っ張るから、髪も上がる、という芝居の理屈は分かるのだが、天井に槍をつき、悪者を落とすと、持っているのが、方向を示す磁石なので、なんだこれはと、いつも思う。

海老蔵は、荒事と言う事をかなり意識していて、粂寺弾正も鳴神上人も、驚いた時に、顔の表情を大きく変えた上で、表情を止めて、ストップモーションになって見せるが、これは必要が有るのだろうか。見得を切るのならいいとは思うが、見得でない所では、いらないと思う。私は、若い新之助の時代から海老蔵を見ているが、今日、荒事を他に誰が出来るのか、海老蔵を第一に上げるしかないと思う。目力、きっぱりとした見得、おおらかさ、愛嬌、エロさなど含めて、どんどん進化していて、見ていて頼もしい。早く団十郎を襲名して、一層大きな海老蔵を観たいと思った。なんで海老蔵が、歌舞伎座二年ぶりの出演なのか、松竹と海老蔵との間に何があるかしれないが、歌舞伎ファンとしては、不思議である。