令和3年6月18日(金) 『歌舞伎座1部、御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)、夕顔棚の二本』

歌舞伎座6月公演の一部を見た。御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)、夕顔棚の二本。1階席、3階席も前側は埋まったが、後ろには客がいない。寂しい客の入りだ。二部の桜姫東文章は、千秋楽まで完売なのに、1部と3部は、完売の日はない。全部観たが、二部の面白さに比べると、特に1部は見劣りする。

先ず、御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)だが、私が勧進帳を全く見ていないとすると、勇猛かつ知略に優れ、人前では一度しか泣かなかったと言う弁慶が、めそめそと泣いたり、一方で、番卒の首を捩じり切り、桶の中に投げ込むという、荒唐無稽の荒事として楽しめただろう。しかし成立が後発の出し物である勧進帳を見慣れている私からすると、対立する弁慶と富樫の緊張感や、勧進帳を巡る両者の言葉のバトルが、欠けていて、勿論勧進帳を読み上がるところは、多少同じであるが、運藤太、鈍藤太が絡んだり、番卒が絡んで煩く、勧進帳読み上げの緊張感がなく、結局、富樫は義経一行を、通す事にするのだが、弁慶が、思い切り、杖で、義経を打擲したから、これを見た富樫が、義経一行の関の通過を許したという事になるが、そんなことで本当に富樫が許すかなと思うと、疑問である。あくまで荒事なので、勧進帳と別けて考えなくてはいけないと反省したが、出から黒御簾の中で、「寄せの相方」を演奏するので、気分は、まるで勧進帳を見るように引っ張られてしまった。似ているようで、全く似ていない、御摂勧進帳と勧進帳、余りと近づけようとせず、あくまで。荒事として、独立させた方が、楽しめると思った。でもやっぱり勧進帳には、かなわないな。

夕顔棚は、清元の舞踊、夕顔棚。老夫婦が若い頃を思い出しながら、上手い踊り手がわざと年寄りっぽく踊るところが楽しかった。老爺を左團次と老婆を菊五郎。菊五郎のおばあさんメイクが、見事におばあさんなので笑った。風呂上がりに、胸をはだけで、垂れた乳房を見せながら、手ぬぐいで、垂れたおっぱいを上に上げて、汗を拭くところは面白かった。私が子どもの頃、今から60数年前、東京の都心でも、夕方になると、お婆ちゃんたちが、団扇を片手に、胸をはだけ、垂れた乳房を見せながら夕涼みしている姿を、この目で見ているだけに、特に面白かった。左團次の首の揺れが心配だ。病気でなければいいが。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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