令和3年6月8日(火) 『歌舞伎座2部桜姫東文章を再度見る』

六月大歌舞伎の二部、三部を連続して観る。2部は桜姫東文章。4月に前半、上の巻が演じられ、今月、後半に当たる下の巻が上演された。玉三郎と、仁左衛門、36年ぶりの桜姫東文章で、場内は、観客を半分にして入場させているが、初日の今日、その全部の席が埋まる盛況ぶり。千秋楽まで、全席完売だ。

上の巻を振り返ってみよう。鶴屋南北と言えば、因縁が因縁を呼び、ストーリー展開が複雑で、思わぬ運命に弄ばれる人々を描くことで知られているが、桜姫東文章は、まさに典型的な因縁話のストーリーである。私は、今回、江戸時代という封建社会の中の支配階級、現代でよく言われる上級国民の生き様が、皮肉たっぷりに描かれていると思った。

4月の上の巻では、僧清玄と稚児白菊丸の同性愛心中が描かれる。香箱の蓋には清玄と書き、白菊丸が持ち、本体には白菊丸と書き清玄が所持し、お互いに胸に仕舞って心中しようとしている。岩の上から、白菊丸は素早く海に飛び込んで死ぬが、清玄は躊躇して自殺を留まってしまう。心中は、禁止令が出るほど多く、人形浄瑠璃や歌舞伎にも取り上げられたが、同性愛の心中事件は少なかっただろうし、発端としては、面白い趣向だと思った。しかも心中したが死にきれなかったのではなくて、片方は怖くなり自殺を止めてしまうのだが、後の僧侶として大出世するという皮肉が効いて、序幕の掴みとしては効いていると思う。

心中未遂から十七年が経ち、死に遅れた清玄は、僧として出世し、新清水寺の阿闍梨に出世している。その清玄のところに、吉田家の桜姫が出家したいと訪れる。清玄が祈るうちに、子供の頃から閉じたままだった桜姫の左手から香箱の蓋が落ちる。なんとその耕箱の蓋には、清玄と書かれていたのである。これを見た清玄は、桜姫が、白菊丸の生まれかわりと確信する。そして清玄は、桜姫を愛し始めるのだが、桜姫は、私には、前世の因縁など関係ない事と、完全に拒絶する。

尼になりたいという桜姫だが、江戸時代の武家の娘である桜姫は、屋敷に忍び込んだ盗人に闇の中で犯され、そのセックスの味が忘れられずに、ちらっと見た男の腕の鐘の入れ墨を、自分の腕にも入れるほど熱を上げてしまう。この盗人の名は、権助と言うが、姫は名前も、顔も知りようがない。桜姫には、自分の処女を奪い、セックスの快感を味合わせてくれた快感と、男の逞しい肉体が残った。このたった一回のセックスで桜姫は身ごもり、娘を出産し、すぐに里子に出してしまう。武家の娘が、泥棒に犯され、恥ずかしさの余り自殺するのではなく、初めてのセックスの快感を忘れずに、自分に快楽を与えた見ず知らずの盗人を愛して、もう一度、巡りあってセックスしたいと、期待を持ち続ける、夢の様な物語である。封建制度の中に完全に組み込まれている武家の娘が、一度のセックスの快感を忘れずに、何時巡り合えるとも知らずに、この男をひたすら待ち続けるのが、面白い趣向だ。砂丘で失くした指輪を探すようなもので、簡単にはかなわぬ話だが、芝居だから、かなってしまう。尼になろうと行った新清水寺で、桜姫と権助は巡り合う。権助の顔を見たのは初めてとなる桜姫だが、権助の腕の釣鐘の入れ墨を見た瞬間、桜姫は、かつて自分を犯した男と確信し、自分が武家のお姫様という立場を、かなぐり捨てて、つまり封建制度の中から脱出し、姫の立場を忘れて、再びセックスしたいという一人の女になるのである。桜姫は、もちろん尼になる事などは、すっかり忘れて、権助と、心待ちにしていた激しいセックスを再びしたいと、言い寄る。権助は、一年前に犯したお姫様かと気が付いただろうが、お姫様というありがたさはなく、ただ美しく、自分の女にして、高く売ろうという打算が働くだけだが、桜姫は、尼になろうと思ってやってきた寺で、ついには権助とセックスしてしまうのである。南北は、ここでも現世における因縁を、桜姫の片思いと言う一方通行で描いている。

しかし寺の坊主、斬月にこの様子を盗み見られ、暴露されてしまう。権助はうまく逃げおおせるが、現場には、清玄と書かれた香箱が落ちていたことから、清玄に、桜姫と不義をした、女犯の疑いがかけられるが、清玄は言い訳をせず、破戒坊主として寺を放逐されてしまい、桜姫と一諸に晒し物にされる。その後桜姫の赤子は、再び桜姫に戻るが、最後は、清玄が赤子の面倒を見る事になり、二人は別れ別れになってしまうのである。

噺が戻るが、桜姫は、自分の掌から落ちた香箱の蓋には全く関心を示さない。清玄は、桜姫は白菊丸の生まれ変わりだと確信してしう。桜姫は、セックスしたのは清玄ではないと言えばいいのに、権助を守るために、桜姫は口をつぐむ。清玄は、桜姫との因縁を感じ、桜姫を愛してしまったため、黙って罪を受け入れてしまう。桜姫は清玄が言う因縁には全く無関心である。自分に言い寄る清玄は、桜姫にとっては、気持ちの悪い存在でしかない。清玄は、桜姫を、心中未遂で死なせてしまった白菊丸の生まれかわりだと信じ、因縁を痛感しているが、桜姫は、白菊丸の生まれ代わりと言われても、自分には全く関係ない、因縁などは全く思いもしないのである。因縁は、他者同士が因縁を感じ合うからこそ因縁で、一方は無関心ならば因縁にならないところにも皮肉が効いている。

下の巻に話を進める。桜姫を、心中し損ねた白菊丸の生まれ変わりと信じた清玄は、桜姫を思い続けるが、落ちぶれ果てて、病となり、赤子と共に、かつて寺で一緒で、自分を告発した僧残月の家に住まわせてもらったが、残月に毒殺される。清玄の死体を埋める穴を掘ってもらうために権助がやってきて穴を掘る。そこに女衒に連れられて桜姫が残月の家にやってきて、ここで再び桜姫と権助は巡り合い、桜姫は、権助と一諸になるが、権助に女郎に売られ、腕に入れた鐘の入れ墨が、小さいので風鈴みたいだとして、風鈴お姫と呼ばれ、人気の女郎になっている。美男美女の濡れ場で玉三郎と仁左衛門の絡みはエロい。

清玄は、住まわせてもらっている僧残月夫婦に毒を飲まされ殺されるのだが、権助が寄り合いの為に家を出た後、桜姫が一人残っていると、雷が鳴り、家のすぐ近くに雷が落ちると、はずみで清玄が生き返り、桜姫に、一度結婚してくれと、やらせてくれと詰め寄るのだが、争いの中で、包丁を首に誤って刺し、死んでしまう。でも清玄は、死んでも幽霊になっても、桜姫に付きまとうのだった。権助の事が好きで仕方がない桜姫は、幽霊になった清玄には、全く興味を覚えず、清玄にかみつき、消えちまいなと、拒絶するのだが、死んでも、つきまとう清玄の妄執は凄いが、幽霊に因縁なんて、私には関係ない事だと強く主張する桜姫の意思は固い。因縁より自分に快感を与えてくれた生の、いや性の実感の方が勝るのだ。清玄は、白菊丸と心中して死ねばよかったのだが、因縁と妄想によって、17年後に結局は死ぬ清玄も哀れな存在だ。もしかしたら、白菊丸は、桜姫に宿って、早く地獄に来い、自分のところに来いと、桜姫を利用したのかもしれない。私は、白菊丸は到底成仏できていないだろうから、白菊丸の霊が、清玄を追い込んで、不慮の死に導いたのかも知れないと思う。でもそれなら、清玄が、あの世で白菊丸と再会すれば、清玄は化けて出る必要はないから、邪推かもしれない。

桜姫は、お化けになって出てきた清玄に、女郎とお姫様の言葉をミックスさせた言葉で、早く消えちまえと、怒鳴りつけ、相手にしない。このあたりの因縁を拒絶する桜姫の近代性を感じるし、桜姫の清玄への、徹底した無関心ゆえの無視は、気持ちがいい。

桜姫に無視され続けた清玄は、桜姫との因縁を拒否されたわけだが、死んで分かった更なる因縁を、桜姫に語る事になる。清玄は、桜姫に、実は清玄と権助は実の兄弟であること。権助は、吉田家の重宝都鳥の一巻を盗み、父と弟を殺した敵である事を告げる。この清玄の言葉を信じた桜姫は、親の仇の、権助との間に出来た赤子をあっさりと殺し、酔いつぶれて寝ている権助を刺し殺すのだった。

お姫様が、犯された男を頼って、激しいセックスが忘れられずに、封建制度を超えて、男と一諸になり、その男に遊女に身を落とされても、男への愛は変らず、セックスで繋がっている関係で、それで桜姫は、十分に満足している。これは新しい女性像だろう。しかし南北の筆はここで終わらない。体制からドロップアウトし、好きな男との、どろどろの生活に入ってはいるが、好きな男が、父と弟を殺した人間だと知った後は、いきなり封建制度の代表的な人間に切り替わる。大好きで、体も合う権助を、親と弟の仇だと殺して、親の仇を打ち、親の仇との間に出来た赤ちゃんをも殺してしまい、都鳥の一巻を手に入れると、お家再興にベクトルを持っていくところが、空恐ろしく感じた。あれだけ自由奔放に封建制度を抜け出して、セックスの溺れ、自由を謳歌した桜姫が、先祖返りとでもいうのだろうか、封建制度の下に帰ると、今度はその代表選手として、赤姫と言うお姫様としての衣装を着て、豪華な髪飾りに身を包み、つい昨日まで遊女をして売春していた過去はさらりと捨てて、何事もなかったかのようなすまし顔で、吉田家再興を寿ぐのだ。お姫様から、遊女になり、伝法な言葉使いをかなりマスターした桜姫が、最後の最後になって、今までの事はなかったかのように、お姫様として超然とした姿で現れた時、社会の上澄みに住む上級国民は、下々の事など、簡単になかったことが出来る存在なのだと驚くと同時に、封建社会の一面を垣間見た感じがして、戦慄が走った。南北は、本人が肌で感じた封建制度の矛盾を、皮肉を込めて書きこみたかったのではないかと思う。玉三郎の桜姫は、圧倒的に美しく、女形で一番の美貌を70歳過ぎても保っているのは、現代の奇跡だ。仁左衛門の清玄と権助の二役の早変わりの面白さ、下の巻では、落ちぶれ果て、病に伏せている髭茫々とした姿から、生き生きとしている悪党の権助に変わる激しい落差が楽しかった。もう二度と見る事はかなわないだろう、玉三郎と仁左衛門による、桜姫東文章、私の目には、はっきりと焼き付いた。