令和3年6月3日(木) 『六月大歌舞伎座2部。桜姫東文章。3部京人形、日蓮を見る』

六月大歌舞伎の二部、三部を連続して観る。2部は桜姫東文章。4月に前半、上の巻が演じられ、今月後半に当たる下の巻が演じられた。玉三郎と、仁左衛門、36年ぶりの桜姫東文章で、場内は、観客を少なくして入場させているが、初日の今日、その全部の席が埋まる盛況ぶりだった。桜姫を、心中し損ねた白菊丸の生まれ変わりと信じた清玄は、桜姫を犯して、子供を宿させた権助の家で、病に伏せている。一方桜姫は、白菊丸など関係ない、自分が、白菊丸が転生した存在などと、全く考えていないのが面白い。鶴屋南北は、因縁を完全に終わらせている。桜姫に迫った清玄は、争いの中、包丁で自ら喉をついて死んでしまう。因縁話はこれで終わりと思うと、超ど級の因縁話が持ち上がるのが、南北らしい。多少、つじつま合わせ的だが、実は、権助と清玄が兄弟で、桜姫の父と弟を殺し、家宝の都鳥の一巻を奪ったのも直助で、それを知った桜姫は、直助との間にできた赤ちゃんを殺し、直助を殺し、自ら自害をしようとするが、直助の悪事が露見したからには、自害に及ばずと言う事になり、女郎に身を落とした桜姫は、再び元のお姫様に、しれっと戻るのだ。因縁も、愛情も、心底惚れた直助の事も忘れ、何もなかったように、お姫様に戻る。桜姫は、流れに乗って、ただ生きただけ、素知らぬ顔で、お姫様に戻る桜姫、南北は、世の中に因縁話などはない事にしたのかもしれない。

玉三郎の桜姫は、圧倒的に美しく、女形で一番の美貌を70歳過ぎても保っているのは、現代の奇跡だ。

第三部は、京人形と、日蓮。京人形は、去年も歌舞伎座でかかった。前回は左甚五郎を芝翫と京人形を七之助だったが、今回は白鸚と孫の染五郎が演じた。女形メイクの染五郎は、若さゆえの花もあり奇麗だが、奇麗だけに終わった。木製の生き人形が、動いてしまう、というとんでもない話だが、そこは歌舞伎、甚五郎が彫った竜が水を飲みに行くなら、人形が動いて、踊ってもいいのである。人形は人形だけに、無骨に踊るのだが、鏡が胸にはいると、急に女らしく踊る。人形が、男の踊りと、女の踊りを、踊り分けるのが眼目だ。染五郎は、男踊りの時には、ドタバタとし過ぎていて、逆に女踊りの際には、体が直立していて、柔らかさにかけている。染五郎には、まだ難しいのかもしれない。白鸚の甚五郎は、さすがに名人らしい雰囲気と語り口があって、好演していた。馬鹿馬鹿しいと知りながら、恍けて演じているのが、楽しいところだ。

日蓮は、会話劇で、日蓮の若き日のエピソードなのだが、日蓮に関心がないので、何とも言えない。浄土はあの世にあるのではなくて、この世に浄土がなければ意味がないという、日蓮のメッセージは伝わった。観客に、お坊さんも多く、日蓮宗に動員がかかっているのかもしれない。信者はたくさんいるから、大入り満員は間違いない所だろう。猿之助のセリフ術は、先代の猿之助を超えたと思った。先代は、セリフを自分のリズムで語っていたが、猿之助は、心の底からセルフを伝えているように感じる。ここまで、セリフの一粒一粒が立体的に伝えられるのは、今の歌舞伎界では、猿之助だけである。極めて貴重だ、歌舞伎界の宝だと思った。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

ニュース, ナレーション, 司会, 歌舞伎, お茶, 俳句, 着物, 元NHKアナウンサー