令和3年1月02日(土) 「初春大歌舞伎、1部寿浅草柱建、悪太郎。2部夕霧名残の正月、仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋の場」

コロナ禍の中の初芝居、今日初日の歌舞伎座で、一部、二部を連続して観る。観客席は半減となり、例年の満員御礼の賑やかさ、華やかさに比べると寂しさがあった。

今月から三部構成となり、1等席が15000円、3部全部見ると45000円。昼夜二部制なら1等席は18000円だから、昼夜で36000円なので、9000円も高額になった。三階A席は、5000円、3部全部で15000円、これまでは昼6000円だったので、昼夜で12000円だから3000円高い、みどり公演ではあるが、3部制は一幕が短く、こってり感はなく、見物料金だけが上昇した。新年早々、観劇代金を、あれこれ言うのは大人げないが、歌舞伎ファンは、高齢者が多く、少ない年金を捻出して観劇にきているので、配慮は必要だろう。でも、コロナ禍、松竹の経営を考えると、半分しか観客席に入れられず、経営は非常に厳しいと思う。観客も、高い見学料を支払っても、歌舞伎を支える器量が必要だと思う。

1部は、寿浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)と、猿之助の悪太郎の二幕構成。正月恒例の曽我物の新柱建を、改変して作られた作品。曽我物語の登場人物が全て登場するが、長唄の舞踊作品で、ドラマ性はない。それぞれが、踊ってお仕舞い。浅草歌舞伎が、コロナ禍で今年はなくなり、浅草歌舞伎に出演していた若手花形が、この幕に集結し、花を競った、曽我五郎を演じた松也のむき身の隈が迫力あり、元気さ一杯、今年の活躍が楽しみだ。美しい女形が必要な今の歌舞伎界にあって、米吉が大磯の虎、苔玉が化粧坂少将、鶴松が喜瀬川亀鶴を演じた。この3人の中から、玉三郎を超える、次代の美形の女形が育って欲しい。

1部もう一幕は、猿之助の悪太郎。始めっから酔っぱらった悪太郎が、酔いながら踊るのが趣向。猿之助に踊りの名手という強い印象は、私は持っていなかったが、酔っ払いながら踊る姿をみている、本当に酔いながら踊るように見え、猿之助は、踊りが上手いなと思った。

続いて2部は、夕霧名残の正月、仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋の場。夕霧名残の正月は、昨年亡くなった坂田藤十郎を偲んで、と題して演じられた。雁治郎が藤屋伊左衛門、扇雀が扇屋夕霧を、藤十郎の二人の息子が演じた。坂田藤十郎襲名の際に、藤十郎が復活させた狂言で、吉田屋と違い、夕霧が死んでしまった後の後日談で、夕霧が死んで丁度四十九日に、伊左衛門が藤屋を訪れ、夕霧が死んだことを初めて知り、夕霧が纏っていた打掛を眺めながら、寝入り、夢の中で夕霧と会うという芝居である。亡くなった藤十郎襲名の時に、藤十郎が演じた夕霧は、こってりとして、艶があり、死んでも伊左衛門に対する執着が迸っていたと記憶しているが、満開の桜から登場した扇雀は、どちらかというとクールで、この世に迷っていない冥界の夕霧という感じがした。藤十郎の東京での舞台は、平成時代、ほとんど観ているが、艶やかさがあり、舞台に登場すると、スター俳優の輝き、オーラがあった。藤十郎には天から授かった陽の輝きがあったが、扇雀は蔭の役者で、父ほどのオーラを感じない。

伊左衛門を演じた雁治郎は、父の陽の面を受け継いでいるが、打掛を眺めて、夕霧を思い、一人沈む場面は、悲しさが際立たず、その後の夢のシーンが幻想的にならなかった。藤十郎の弟子、寿治郎の番頭が、悲しそうで、痛々しかった。

二部の最後は、吉右衛門の仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋の場。コロナ禍、一力茶屋での大勢での大騒ぎの場はカットされた。釣灯籠からの舞台。内蔵助の酔態があっての、後半の素面の芝居なので、内蔵助のしどころが半減してしまつた。それでも、遊興していても、腹は討ち入りを覚悟している大星であるから、酔態から、きりっと本心に戻り、再び醜態に戻ることろの仕訳が自然で、さすがに上手いと思った。短い時間だったが、忠臣蔵七段目を心から楽しんだ。吉右衛門の大星由良助で、通しで、仮名手本忠臣蔵を見てみたい。平右衛門は梅玉、おかるは雀右衛門。