12月17日(木) 「国立劇場1部、三人吉三巴白浪。2部、天衣紛上野初春、河内山」

今月の国立劇場は、一部は、三人吉三巴白浪。二部は、天衣紛上野初春、河内山。

三人吉三巴白浪は、大川端庚申塚の場、吉祥院本堂の場、本郷火の見櫓の場の半通し。

黙阿弥の傑作の白浪物で、大変人気のある狂言である。お嬢吉三を時蔵、お坊吉三を松緑、和尚吉三を芝翫が務めた。

時蔵のお嬢吉三は、初めて見た。平成15年に金毘羅歌舞伎で演じたことがあり、私がVHSに収録していたので、これを見て出かけた。65歳の時蔵が美少年の盗人を演じて違和感がないのに驚く。お嬢吉三は、菊五郎のように立ち役が演じる場合と、女形が演じる場合もあるし、女形でも玉三郎や歌右衛門のように真女形が演じる場合とがある。時蔵は女形だが、真女形ではない。お嬢吉三は、女の子として育てられ,旅役者でも女形を演じ、いつも女装をしている。今の時代感覚で言えば、女装好きな男の子である。女装で、おとせから100両を奪って川に突き落とす悪たれである、という考え方をすれば、時蔵はぴったりだと思う。60代半ばの時蔵だが、松緑、芝翫と並んでも、若さと美貌ではまけない。「月も朧に白魚の」の名セリフも、明快で、女装はしていても、心と体は男なんだなと分かって、名セリフを気持ちよく聞いた。

お坊吉三は松緑が演じた。松緑の和尚吉三は、何回か見たが、お坊吉三は二回目だ。お坊吉三は、世間知らずのお坊ちゃんで、これまで見てきた柔な色男、二枚目というイメージが会ったが、松緑には、そのニンがなく、ニヒルなアウトローという意識を強く持って演じているように思えた。松緑は顔を白く塗ってニヒルさを強調していたが、松緑のニンは、やはり和尚吉三の力強い、男っぷりを出す役の方が生きると思った。お坊吉三を、松緑のようにニヒルな雰囲気で演じると、お嬢吉三との同性愛感覚が薄くなるが、私は、これはこれでいいと思った。

和尚吉三は、芝翫が演じた。松緑とニンから言えば、お坊吉三は芝翫が会うのかと思ってみたが、芝翫の和尚吉三は力強く、男を引き付ける魅力に溢れていた。芝翫の言葉は、極めて明瞭で、きっぱりとして男気を強く感じた。この芝居は、親の因果が子に向かいという因縁話が根底にあるが、これにあがなう男の行き方が強く感じられて、いいと思った。七五調のセリフは、リズムに流れて、言葉の強さが感じられなくなる場合もあるが、芝翫は、言の葉に魂が籠った七五調で、運命に逆らう姿が明瞭になったと思う。

第二部、天衣紛上野初春、河内山。白鴎の宗俊は何回も見たが、今回は実にふてぶてしい宗俊だった。特に言葉が明瞭で、セリフの緩急、強弱は自在で、圧倒的な演技力を感じた。饗応を断り、黄金のお茶というが、黄金のお茶をストレートに言うのではなく、黄金を強く言い、声を落として、お茶をさりげなく言っていた。袱紗の下の金包を扇で上げようとして時計の音が鳴る場面でも、心では驚いたろうが、大袈裟に驚かず、やり過ごしていた。力強い、狡知のたけた、実にふてぶてしい宗俊で、最後の「馬鹿目!」が効いた。梅玉の松江公は、もう当たり役。出てきただけで十七万国の太守に見え、癇癪持ちで、いらいら感を随所に見せ、頭に来るところをぐっと抑えて、沈着冷静を装いながら、時に顔を顰める演技は、実にうまいと思った。宗俊のふてぶてしさに、圧倒される側の殿様が、いらいら感を爆発させたくても、我慢して、殿様の冷静さを装うところのもう一つの芸に、この劇の面白さを感じた。