12月11日(金) 「歌舞伎座12月、1部弥生の花浅草祭、2部心中月夜星野屋を」
歌舞伎座12月公演の1部と2部を見た。1部は弥生の花浅草祭、2部心中月夜星野屋。
弥生の花浅草祭は、愛之助と松也、花形を通り越したスター俳優の顔合わせである。弥生の花浅草祭は、三社祭の原作である。二人が四役を踊る変化舞踊という趣向で、悪玉が愛之助、善玉が松也が演じた。愛之助は踊りの流派のトップだが、名実ともにトップなのか疑う内容だった。かつて富十郎で観た時のような、踊りの躍動感、足が床に置かれ時の滑らかさ、おかしな振りをより可笑しく見せる踊りの技、総じてしゃれっ気に唸ったが、愛之助の踊りには、演奏にわずかに遅れるところもあり、あえて素人目線で言うと、教わった振りを目一杯に踊っているようで、抜いたところがなく、上手いなと言う踊りには見えなかった。松也の踊りは、ぎごちなさが目立ち、踊りが固いと思った。流麗な流れがなく、覚えた振りを、何とかこなしている感じがした。松也は私の好きな俳優で、第1回の自主公演から見ているファンとしては、松也の弱点を見てしまった思いがして悲しく思った。間違いなく令和に名前を残す役者と思って贔屓しているだけに、より一層の精進を期待したい。松也の通人は、おっとりとしていて、特に体の線が奇麗で、助六の通人に、ぴたりとはまると思った。石橋は、二人とも若さがあるから豪快で良かったが、毛の先端がピンと伸びる感覚はなく、力任せに首を振っているように見えた。
2部は、落語が原作の心中月夜星野屋。見終わった印象は、だましだまされのドタバタ喜劇で、わざわざ歌舞伎でやる必要がどこにあるのか分からず、吉本新喜劇でやればいいんじゃないのと呟いてしまった。落語は、落語家が、一人が語るから脚色自由で、さりげなく人情も交えて、だまし合いをするからおかしく感じるだろうが、歌舞伎役者が、それぞれの役を演じると、いやなタイプの人間ばかりのだまし合いの劇となり、だまし合いの瞬間瞬間は、流石役者であるから、壺を心得ていて、笑わせてくれるが、笑わせるだけで、人の嫌な面ばかりが強調されて、気分が陰鬱になる。人間関係の、ぎすぎすした状態、そのままで終わってしまい、後味の悪い終末だった。この芝居、松竹新喜劇なら、化かし合いの末に、泣かせるところも出て来て話がまとまるが、この芝居は、だまされて花道を怒り心頭で帰る人間、一方で、3両と5両を手にした側が大喜びして終わるのでは、終わり切れないというか、これでは喜劇ではないと思った。藤山寛美が活躍していた松竹新喜劇でやったなら、途中ペーソスも交えて、泣かせる場面も作って、名作になったのになあと思った。
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