5月17日(日) 「本当なら今日から三社祭なのになぁ、パート3」

例年だと、今日は一年で一番楽しみな三社祭の宮出しが行なわれる最終日だ。4時半に観音様の裏手で待機し、6時に、宮出しが行われる。浅草の町を三基の本社の神輿、一の宮、二の宮、三の宮が渡御するが、その宮神輿が浅草神社の鳥居の外で一斉に上がる。私は、この宮出しに、大学3年生、21歳の年から毎年休むことなく参加している。68歳の今、宮出しの喧騒の中で、本社の神輿を若者に交じって担ぎたいばっかりに、筋トレをしているのだ。

宮出しは、何千人の担ぎ手が、三基の神輿に集中するので、一見大混乱に陥って、怪我人も出るが、担ぎ慣れた人間ばかりなので、その実結構整然と神輿は上がるのだ。時には担ぐ棒をめぐり喧嘩も起きるが、神輿は何もなかったかのように担がれる。実は、三基の神輿の担ぎ棒は、どの棒の、どこの部分を、どこの神輿の会が担ぐか決まっているのだ。勿論既得権益ともいえる棒の支配は、権利ではないで、実力がある新しい神輿の会が出現し、棒を奪いに来ると大喧嘩になる。

祭好会と言う神輿の会に入会した時には、担ぎ手の圧力で、立っているだけで苦しく、本社の神輿に近づく事が出来なかった。本社の神輿は千貫神輿と呼ばれる位に重いので、担ぎ手がしっかり腰を入れないと、担ぎ続けることが難しい。担いでいる人以外に、神輿の周りに、たくさんの人が取り付くと、押される事で、担いでいる人間は、腰を入れることが出来ず、自分のパワーを100%出し切れないのだ。専門的には、腰が切れない、というのだが、正常に力を込めて担げないので、神輿の周りから人を離す、ガード役がいて、神輿の周りを囲んで、担ぎ手が神輿へ侵入するのを防ぐのだ。このガード役は、二重、三重にいて、神輿を担ぐには、このガードを破らないと、神輿の近くに行けないし、勿論担ぐことが出来ない。神輿を担ぐにはどうしたらいいか、力でガードを突破するやり方があるが、一発二発殴られるのは覚悟しないといけない。でもすぐガードを抜ける方法が見つかった。それは自分がガード役になるのである。一番外側のガード役になり、神輿を背にして、神輿に取りつこうとする担ぎ手を、言葉で脅し、時には殴って、腕力で退かせる。そして、ガードしながら徐々に内側のガードになり、神輿に近づくのだ。そして神輿に一番近いガード役になり、神輿近くに辿り付ければ、後は待てばチャンスが生まれる。神輿の担ぎ手は、次第に疲れてくるので、その交代要員として神輿を担ぐのだ。担ぎ手は、アイコンタクトで次の担ぎ手を探す、アイコンタクトに答え、担ぎ手が肩を抜いた時に、さっと神輿に肩を入れるのだ。結構スリリングで、楽しい瞬間だ。怒鳴り声も演技、怒った顔も演技だったのだ。殴ると言っても、顔を傷つけないように、頭をごつんと叩くだけだ。

担ぎ手は、アドレナリンが出まくってハイの状態になっているので、小競り合い位は常に起こる。それでも神輿は何事もなかったかのように、上下しながら担ぎ手の背中で泳いでいるように見える。時には神輿は回転しながら、本社の神輿同士がぶつかりそうになる場面もあるが、ぶつかることはない。担ぎ手の、阿吽の呼吸がそこにはある。昔は、神輿の上に、やくざ者が十数人も乗り、ただでさえ重い神輿が、更に重くなり、神輿が落ちる時があったが、神輿に乗ることが禁止されてからは落ちる事はない。三社祭の宮出しは、こうして45分の時間一杯を使って担がれた後、浅草の町に出ていくのだ。

こう書いてくると、68歳でもワクワクしてくる。今年も宮出しに参加したかったな。宮出しの後は、仲見世本社渡御、仲見世町会の町内神輿の渡御に参加し、18時過ぎから本社宮入が行われ、祭りは終わる。一年に一度の楽しみを奪われ、只々、ひたすらコロナウイルスが憎らしい。

今日は、昨日と打って変わり快晴の天気だった。気温も28度まで上がり、最高の祭り日和だなと思うと、何故か悲しくなってきた。