令和2年1月3日(金) 『新橋演舞場昼の部。祇園祭礼信仰記。鈴ヶ森。雪蛍恋乃滝」

3日は、今日初日の新橋演舞場初春歌舞伎公演の昼の部を観る。祇園祭礼信仰記、金閣寺。鈴ヶ森。そして秋元康原作演出のNINJA KABUKI雪蛍恋乃滝(ゆきぼたるこいのたき)の三本。

最初が祇園祭礼信仰記。宝暦7年12月大阪豊竹座で初演された人形浄瑠璃を歌舞伎に移したもので、始めは、祇園祭礼信長記といっていた。五段続きの時代物で、タイトルから分かるように、信長の一代記を扱った物語である。

現在では四段目の中から切りにかけての金閣寺だけが上演されているが、この金閣寺は、よく出る舞台で、金閣寺と言う名所を舞台にして、華麗な金閣寺を大道具として、舞台上に建て込むだけでなく、せり上げ、セリ下げるのが大きな特色である。江戸時代に、機械力を使わず、人力で、金閣寺を上げたり下げたりしただけで、観客には、驚きだっただろう。

義太夫では、前半を碁立の段、後半を爪先ねずみの段といい、前半は此下東吉と松永大膳が主役、後半は、雪姫が主役となる。此下東吉を右團治、大膳を獅童、孝太郎が雪姫を勤めた。

大膳は国崩しの大敵役。顔は赤く塗らないで、白い顔に青い隈を描き、碁を打つだけでなく、後半長刀を持って暴れるので、単なる悪役でなく、強さのある大悪人を演じなければならないので、ニンに合うかどうかが大事だが、獅童は顔が大きく、長身なので、ぴたりと合っていると思われた。一方の此下東吉は、前半は生締めの鬘に、織物の上下を着て、まるで石切梶原のような衣装を身に着けて、りりしさ、カッコよく見せないといけない。後半は陣立ての拵えで、鎧に身を包み、堂々とした押し出しで出てくる。こちらもニンにあわないとどうしようもない役だ。

右團次の比下東吉は、大きな顔に生締めの鬘が似合って、しかも台詞が明晰で堂々としていて立派な東吉だった。大膳を獅童が演じていて、高低の音を上手く使い、低音を響かせて、悪の雰囲気を上手く出していた。国崩の役だが、白塗りに青い隈がはえて、威厳もあった。長刀を持っての立ち回りも強く、獅童の大敵役である大膳は、はまると思った。

イヤホンガイドを聞いていて、大膳と比下東吉が碁を打つシーンで、大膳の部下十河軍平と比下東吉が目配せをして、上を見やるところを、紹介してくれたので、最後に十河軍平が実は、佐藤正清と名乗り、実はスパイとして大膳に使えているという、伏線が良くわかった。ここまで、ここの部分は見落としていた。こうした案内は、大変ありがたいと思う。

雪姫は、三姫の一つで、女形の重要な役である。女形だが、美しいとは一度も思った事がなかった孝太郎が、今回の雪姫を勤めたが、初めて孝太郎が綺麗に見えた。芸の力が上がったのだろうか。きんきんとした声の使い方はなくなり、言葉の端々に、夫への愛情が溢れていた。悲劇のヒロインとして悲しみすぎる役者が多いが、凛とした一面も見せて、前向きに事態を切り開いていこうとする強い面を見せた。美しく見えたと書いたが、孝太郎は、少し痩せたのか、顔が細くなり、綺麗に見えたのかもしれない。

爪先で花弁をかき集める所は、三味線の糸に乗って動きながら集めるのだが、桜の木に縛られて繋がれているので、動きが難しい所だ。先代雀右衛門は、驚くほどたくさんの花びらを散らせて、花弁を爪先で集めやすい工夫をしたが、今回はさほど花弁が落ちなかったので、爪先で花弁が集まらず、苦労していたようだ。

鈴ヶ森は、去年苔玉を襲名した梅丸が白井権八、海老蔵が幡隋院長兵衛を演じた。白井権八を苔玉が、どう演じるかだけが楽しみだったが、苔玉は、背が低いが、ジャニーズ系の美少年で、梅玉が見込んだだけあって佇まいが清楚で、きりっとした表情に色気があった。苔玉が美少年系の危うさを見せれば、一方、海老蔵の幡隋院長兵衛は、エグザイル系のアウトローというか、侠客として堂々としていて、低音を響かせながら、男の色気を見せていた。今回の舞台、異なるタイプのイケメン同士が、惚れあうので、どこかにBL的な雰囲気を強く感じた。鈴ヶ森自体が、そこを当て込んで書かれた舞台なのかもしれない。権八に絡む大勢の雲助の中に、褌一本の総身の刺青男が絡んできて、権八に、背中からバッサリ切られるが、上手で死体となって倒れた役者が、筋肉質の体をもっていて、肉襦袢に描いた、全身の刺青を舞台に見せながら、脚を組んで、褌一つで、尻を見せて倒れているところが、妙に色っぽいというかエロかった。今回の鈴ヶ森は、BL版鈴ヶ森といっていいと思う。

最後が、秋元康原作演出の新作歌舞伎、NINJA KABUKI雪蛍恋乃滝(ゆきぼたるこいのたき)。一時間の小品で、ライティングが美しく、光の中で雪が幻想的に降るシーンが印象に残ったが、中身は、微妙な出来上がりで、見終わって首を捻った。これは心中物語なのか?主題が、よく分からなかったからである。

最初は、海老蔵の息子の勸玄が、豆忍者になっての立ち回りに、観客から大きな拍手が起こる。これをご馳走と言うと怒られるかもしれないので、お客様への、お年玉。

荒筋は、清宗に使える忍者稲妻が、敵方の正虎のお姫様、清姫と出会い、一瞬で恋に落ち、最期は悲恋物語になって、忍者は敵方に切られながらも、最後に姫を殺し、自分も首を掻き切って死ぬと言う物語だ。

正虎方には、原子爆弾を思わせる秘密兵器があり、対立する清宗としては、敵方が持つ秘密兵器の設計図が欲しく、海老蔵扮する忍者稲妻を送り込み、設計図を盗むが、偽者を掴ませられる。そこで清宗は、正虎の娘を連れ去り、娘と設計図と交換しようと持ちかけ、拒否されると、両者は戦争状態になる。実は秘密兵器の設計図は、図面は元々なく、清姫の体に刺青で設計図が彫られていたのだ。この事を知った忍者稲妻は、最後に姫を殺し、自分も首掻き切って、雪の降る幻想的な雰囲気の中で、手を重ねて美しく死ぬのだが、美しくあっても、大きな疑問も生まれた。設計図の刺青をした清姫をただ殺しただけでは、清姫の刺青の設計図は、剥がされて盗まれてしまうのではないかと思ったのだ。清姫を、ただ殺すだけではダメで、姫の身体を燃やす必要があると思うがどうだろう。雪の中で、心中のように美しく死ぬが、忍者は、自分が死ぬ時には、爆弾で自爆することもあると聞く。最期は二人で自爆して、粉々にならないと、忍者としては不首尾じゃないかと思った。

一瞬の出会いで、男と女が惹かれあうストーリーは、テレビや映画、歌舞伎でも、たくさんあるのに、正直に言って、なんでいまさらと言う印象を持った。それならそれで美男美女でなくてはつまらない。児太郎ファンには、申し訳ないが、児太郎は、いくらメイクをしても、おかめ顔で、決して美しく見えず、例え歌舞伎でも、一瞬にして稲妻と清姫が惚れあうという設定には無理がある。

原爆を思わせる新型秘密兵器が、ストーリーの中で、あまり効かなかったと思う。

最後忍者稲妻と清姫が死ぬシーン、降りしきる雪の中、滝が舞台後方に見えるが、ドライアイスを上から扇風機を使い、白い煙を落とさせているようだったが、途中で消えてしまい、下まで煙が落ちていかない。これでは、とても瀧には見えなかった。本水で滝を見せるか、滝の映像をプログラムマッピングで見せても良かったのではないかと思った。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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