11月20日(水)『国立劇場孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)』
国立劇場で、孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)日向嶋を見る。
平成17年に見た時には、俊寛を思わせる、やつれた姿で、岩場を歩く老武士の姿が印象に残ったが、今回は、南都東大寺供養の場が出て、青と赤の隈を描いた武士の姿が誠に立派で、源頼朝の命を奪う決意が漲り、その姿を目に焼き付けたまま、四幕の日向嶋浜辺の場で、盲目となった景清が、上手の岩陰から登場すると、その佇まいが、磊落しても、平家への忠義一途に生きる立派な武士の姿に映り、心を打たれた。孤島と孤高を洒落たのかもしれないが、孤高と演題に付けた意味が腑に落ちた。
自ら目を潰し、頼朝に歯向かう事は止めたけれど、平家、とりわけ主人の重盛への強い思いを心にしまいながら、孤島で侘しく暮らす武士の佇まいを、杖を手に、岩場から舞舞台に登場する、出の一瞬で、観客に納得させられる役者は、今の歌舞伎では、吉右衛門しかいない。歌舞伎のらしさは、まさに役者が作る。この仕組みを実感できた、今日の芝居だった。
私は、平清盛のfanで、私としては、歌舞伎は、源氏に忠義を尽くす物語が多い中で、平家にも忠義の武士がいるのが分かり、嬉しかった。
平成17年の舞台も見たが、前回は、何で景清が、自ら目を潰して、見えなくしたのか、その理由が良く分からなかった。今回、南都東大寺大仏供養の場がでて、この推移が、一通り分かった。東大寺再建の法要に、源頼朝が参加し、頼朝を殺すチャンスと、景清が単身乗り込むが、僧兵に阻まれ、失敗する。しかし頼朝からは、自分の家来になるように勧められる。景清は、これを拒否し、頼朝を天下人と認めた景清は、もう頼朝には歯向かわないと、両目に刃を突きつけ、盲目になり、そして宮崎県の日向島に隠棲することになる。とこう舞台は、展開するのだが、死を覚悟した平家の侍大将が、頼朝暗殺に失敗し、命を助けら、自分の家来になれと勧められ、頼朝に歯向かはない証拠に、自ら目を潰すことで決意を表わすのだが、平家の侍大将なら、最後まで戦い、腹を切って死んでもいいのにと、納得できない所だった。
更に、娘が、盲目になった自分を助けるために、500貫と言う金を作り、日向島を訪れ、金を渡した時に、娘が商人と結婚し、金を作ったと聞いた時に、唐突に、侍の娘が、証人と結婚するとはなんだと怒り、娘を追い返すのだが、ぼんやりと見ていると、何で突如、烈火のごとく怒り、金を突き返し、追い返すのか、その理由がよく分からない所だった。娘の本当の幸せを願う景清は、娘が後になり、平家の武将の娘だと知られた時に不利になる事を恐れ、親子の関係を絶った決断だと、渡辺保さんの劇評にはあったが、舞台だけ見ていると、景清の心の内は分からなかった。義太夫で、説明があったのに、聞き逃したのかもしれない。
更に、更に、である。実は娘が作った500貫は、自らを売って女郎になり、工面して作った500貫である事を知ると、今度は一転して、頼朝の家来になる事を決める。この平家の侍大将の心変わりが、娘の親への愛情ゆえの行為の結果であることが、不思議だし、私には理解不能だった。この心変わりも、義太夫で語られていたかもしれないが、聞き漏らしたのかもしれない。
結局、平家の猛将景清が、平家の恨みを晴らそうと、単身頼朝を殺しに行き、失敗したが、頼朝の大きさを知った景清は、目を潰し、頼朝に逆らう事を止めると宣言し、日向島に隠棲していたのだが、娘が500貫と言う金を作り、遊女に身売りしたと聞くと、一転して、頼朝の家臣になるというのでは、平家の忠臣はどこに行ったのかと、きょとんとしてしまった。これでは平家に忠義一筋の景清のイメージが崩れると思うのだが、どうだろう。最後、日向灘海上の場で、船の舳先で、平重盛の位牌を海に流す。源氏へ忠誠を示すパフォーマンスなのだろうが、これで目出度し目出度しとなって幕。江戸時代、やはり平家は人気がなかったのかと思った次第。
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