11月5日(火)『吉例顔見世大歌舞伎、昼の部を見に行く』

 歌舞伎座の11月は、吉例顔見世大歌舞伎で、昼の部を見に行った。研辰の討たれ、関三奴、梅雨小袖昔八丈。

 研辰の討たれは、主人公の鍛冶屋出身で、成り上がり侍の守山辰次を、嫌味たっぷりに幸四郎が勤めた。大正14年初演の、新作歌舞伎で、武士の世界の敵討ちの世界を、大正と言う時代で、捉え直した作品である。今から90年も昔になる大正時代では、武士の敵討ちは、討つ側も、討たれる側も実に虚しいものであると言う事を表現したかったのかもしれない。その初演からおよそ100年経った令和という現代から、武士の敵討ちを考えると、武士としての常識的な行動が出来ない、町人上がりの成り上がり武士が、家老に唾を吐きかけられただけのことで、予想外の闇討ちで家老を殺し、殺された側は、仇討ちを行なわざるをえない立場に追い込まれる、敵討ちをする側の悲劇の物語のように思えた。自分でもパワハラ行為をしているのに、パワハラの理解がない人が、逆に自分がパワハラを受けたと思った瞬間に、怒りが爆発して、いきなり衝動殺人を犯す不条理。そしてこの犯人を、仇討ちをしなければならない状況に追い込まれ、3年間捜し続け、ようやく敵討ちをする、辰次の悲劇ではなく、まさに仇討ち側の不条理ゆえの、悲劇の物語であると思った。

鍛冶屋から成りあがって、侍株を買って武士となった辰次が、ある目上にはペコペコして追従し、同僚ばかりか、家老にも嫌みな言葉を平然と投げかける、もう現代的には、立派なパワハラ、モラハラである。辰次が、余りに嫌味な存在で、これでは仲間内から嫌われ、同僚に馬鹿にされ、無視され、上司のパワハラを受けるのは仕方がないと思える。成り上がり武士の辰次が、一人相撲しているようで、状況自体が、滑稽でさえある。ここまで生意気に振る舞う辰次が、家老に、唾を吐きかけられただけで、怒りに震え、家老を闇討ちにして殺し、逐電すると言う設定も、いくらなりあがりの侍であっても、作劇的に苦しいと思った。遺恨を持ったとはいえ、いきなり闇討ちで家老を殺すのは、現代的には衝動殺人で、殺された家老も、鍛冶屋風情に殺されるのは、情けない話だ。こんな愚かな成り上がり侍を、敵討ちの相手として、捜し出し、敵討ちをしなければならないのは、家の為とは言え、実に馬鹿馬鹿しい悲劇であり、大災難だと思った。殺された家老の息子達に襲い掛かった、まさに不条理劇だ。

 辰次のイメージは、どこか憎めない愛嬌があり、逃げ回る時には、とにかく死にたくない、どんなに蔑まれても死にたくない,滑稽な位に、生の欲望の権化であるが、幸四郎の演じる辰次は、見る側に、余りに嫌味な奴に見えて、こんな奴、早く敵討ちされてしまえと、思わせてしまった所が敗因だと思う。つまり愛嬌がないのである。嫌味な野郎だとしか思えない。幸四郎の辰次は、愛嬌のあるキャラクター作りには失敗している。ただただ嫌味さが前面に出て、同情ができない。どうしても嫌味さと愛嬌を併せ持った勘三郎の辰次を思い出してしまうが、幸四郎は、愛嬌に欠けるし、滑稽味も薄いし、そのせいで、生へのひたむきさも感じられなかった。ニンにないということだろうか。

 関三奴は、実際の奴を見た事がないし、大名行列も見た事がないので、面白さを感じられなかった。踊りは良く分からないので、何とも言えない。

 ようやく昼の部楽しみな梅雨小袖昔八丈である。菊五郎主演の8年ぶりの髪結新三は、江戸の小悪党の日常は、こんなんだろうなと窺わせて楽しかった。世話物だから、立ち振る舞いや、会話、話の流れが自然でなければ面白くないが、店を持たず、お得意の家を訪ねて髪結いをする髪結新三の表の顔、平気で強請をする裏の顔が立体的に描かれ、楽しかった。髪結いの日常の生活、見事な手捌きで髪を結い、親切を装いながら、ふと耳にした情報から、一気に金をせしめようと悪知恵を生み出し、実行する悪党の顔、問題解決に来た親分への怒りに満ちた威勢のいい啖呵、大家に、「鰹は半分いただくよ」と、丸め込まれる滑稽さも面白い。江戸に隠れ住む小悪党の日常を、菊五郎が普通に演じながらも、立体的に描いて、小悪党新三を造形する腕は見事だ。明治5年の作だから、芝居を見ている人は、どっぷりと江戸時代を過ごしていたわけで、そういえばこんな小悪党が、町のどこかに住んでいたな、と思わせたのではないかと思う。

 江戸に、鶯が鳴き、初物の鰹売りの威勢のいい声が響き、湯から帰った新三が、湯上りの浴衣を、帯で締める訳でなく、手で腹の当たりを押さえながら、ゆったりと歩く姿に、初夏の風情が強く感じられたし、江戸と言う時代、腕に墨に入った前科物が、本当なら長屋に住めないのに、大家の胸先三寸で、住むことが出来たという現実、忠七を騙し、お熊をかどわかして自宅に連れ込み、金をせしめるが、舞台では描かれないが、この間、お熊を手篭めにして、散々弄んだだろうなと想像させるところも楽しかった。

菊五郎の新三は、演技しているようには見えないように演技をして、江戸の小悪党を、こんなんだと造形してみせてくれる手腕が、流石親父様である。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

ニュース, ナレーション, 司会, 歌舞伎, お茶, 俳句, 着物, 元NHKアナウンサー