11月1日(金)『新橋演舞場、スーパー歌舞伎、オグリ』

 昭和の終わりに歌舞伎を見始めた時に、先代の猿之助、今の猿翁が、新橋演舞場で、ヤマトタケルを始めとして、多くのスーパー歌舞伎を演じ、大評判を取っていた。私は、歌舞伎座で、従来の歌舞伎を見るだけでなく、新橋演舞場では、スーパー歌舞伎を見て来た。歌舞伎初心者には、なぜ歌舞伎にスーパーと言う言葉がついているのか、分からなかったが、一度見ると、歌舞伎と違って、現代語で会話しているのが驚きだったし、従来の三味線、黒御簾の音楽、義太夫はほとんど使われていなかったので、スーパーと言うのかなと思ったが、当時の筋書きには、スピード、スペクタクル、ストーリーを、現代人にマッチさせたので、スーパーと名づけたと書いてあったので、成程と思った。

スーパー歌舞伎は、見ていて楽しかった。歌舞伎座で、従来の歌舞伎を観ていると、時には寝てしまう事があったが、スーパー歌舞伎では寝たことがなかった。それは、見る者に寝る暇を与えない展開の速さと、舞台の演出の派手さ、大仕掛けの舞台装置で、見る者を驚かせたからだ。役者の使う言葉も、現代語で、素直に耳に入って来たので、理解が早かった。更に、スーパー歌舞伎には、現代人に訴えかけるメッセージがあり、納得するものが多かった。昭和の終わり、歌舞伎初心者の私には、歌舞伎座の特に、時代狂言の義太夫の語りは、何を語っているかわからず、睡眠誘発剤になっていたので,私は、先代猿之助、現猿扇のスーパー歌舞伎を毎回楽しみに演舞場に足を運んだ。とにかくワクワクして、楽しかったのだ。

 猿翁が病に倒れ、亀治郎が猿之助を襲名して、スーパー歌舞伎Ⅱとして、スーパー歌舞伎を再興し、三作目の今回は、オグリを演じた。一言で言えば、素晴しかったし、楽しかった。極上のエンターテインメントだった。入場料16500円は、安いと感じた。現猿之助によるスーパー歌舞伎は三作目になるが、今回のオグリには、猿翁のスーパー歌舞伎を踏襲しながらも、より楽しさに溢れていると感じた。猿翁時代のスーパー歌舞伎は、猿翁が、トップに君臨して、一座が猿翁を盛り立てながら、進んで行ったが、現猿之助のスーパー歌舞伎は、猿之助がグループのリーダーとなって、一座全員が面白く見せようと工夫している感じがした。集団パワーの楽しさが強調されていたと思う。

 スーパー歌舞伎Ⅱと、歌舞伎の違いは何かと考えると、舞台の派手さだけでなく、メッセージ性の強さを感じた。今回のオグリでは、人は幸せになるために生まれて来る、と言うメッセージが耳に残った。更に、自分がやりたいように、生きたいように生きる、と言う初期のメッセージも耳に残ったが、終盤に、人の善意に包まれて生きていると気が付いたオグリが発した言葉、「人は、自分だけでなく、人の幸せのために生きるのが大切だ」、と言うメッセージも印象的だった。

 新橋演舞場の下手だけでなく、上手からも、同時の宙乗りが行われ、珍しいと思ったし、最後は、観客も交えた踊りで幕を閉じ、観客から拍手が起きると、全員イスから立ち上がってのスタンディングオベーション、更にはカーテンコールも行われた。観客は大満足していたようだ。

 照手姫は、坂東新俉が抜擢された。若手の女形ではあるが、私の見た限りでは、脇の役者で、主役級の役を務めたことはないと記憶しているが、猿之助の抜擢なのかは、知らないが、純真な照手姫を、甘い声質と、可愛い笑顔で、演じきった。私は、正直に言って、新俉は、綺麗とは言えず、どちらかと言うと、美しさには欠ける女形であると思っていた。最初に、新俉の女形を観た時、喜劇役者の三木のり平を思い出した。鼻の形が良く似ていたのと、顔の輪郭が似ていたので、思わず笑ってしまって、女形は難しいのではないかと思った。彼がまじめに女形を演じていても、私の眼は三木のり平を思い出し、演技に入っていけなかったのだ。今回の舞台は、笑顔が可愛かった。新伍の芸の力が、確かに上がったのだと思う。美形ではなくても、大成した女形はいる。頑張ってほしいと思った。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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