9月25日(水)『九月大歌舞伎昼の部を観る』

九月大歌舞伎、今日が千秋楽だった。ようやく昼の部を観る事ができた。幡随長兵衛(ばんずいちょうべい)。お祭。伊賀越道中双六の沼津の三本。沼津は、三世中村歌六、百回忌追善狂言となっている。初代吉右衛門の父である。三世中村歌六は、死んでからもう百年も経つので、今生きている人で、舞台を見た人は誰もいない。正直言って百回忌と言われても、ピンとこない。

最初は幸四郎の幡随長兵衛(ばんずいちょうべい)、水野は松緑。私は、昔の歌舞伎役者の音声録音をアイフォンに入れて、いつも聞いているが、当代幸四郎の押し殺したような声は、先々代の幸四郎の声にそっくりなのに驚いた。声の質だけでなく、台詞回しが似ているせいだと思う。ただ現幸四郎は、貫禄が不足している。江戸の口入屋として、知らぬ人はいないと言う、大立者という侠客としての大物感がない。後ろに並ぶ、子分達とさほど貫禄が違わないのが、辛いところだ。声を落として、貫禄を作って台詞を言うが、「人は一代、名は末代の幡随院長兵衛」が決まらない。貫禄は年月が作るだろうから、10年後の幸四郎の幡随長兵衛を見てみたいと思う。水野は、松緑。白塗り過ぎて、気持ち悪い顔だ。眼だけがギョロついて、七千石の大家の旗本に見えないし、まるで町奴のようだった。水野は世の中に退屈はしているだろうが、対立している幡随長兵衛を心の中では、殺したくない奴だと認めている。松緑の水野は、ただただ幡随長兵衛を殺したいと思うだけに見える。松緑は、化粧が下手だと思う。今回も白塗り過ぎる。

次が、梅玉のお祭。三社祭を舞台にした幡随長兵衛に続き、お祭は神田明神の祭礼で、祭り繋がりである。梅玉は、若い頃から綺麗な顔で、貴公子然とした役は、にんにぴたりとはまって、凄いと思わせるが、鳶頭はニンがなく、私は、ミスキャストだと思う。いい男だが、鳶頭の気風の良さがない。愛嬌もないし、鳶として女に持てそうな雰囲気に欠ける。肩袖を脱いで、刺青を見せても、威勢の良さがなく、幾らほろ酔いでも、太鼓を敲くのに、リズム感はないし、まるで義理で敲いているようで、覇気がない。魁春と梅枝の芸者が絡むが、待ちに待った祭の高揚感は感じられず、残念だった。

最後は、伊賀越道中双六、沼津。十兵衛を吉右衛門、平作を歌六が演じた。2017年正月の時と、出演者は殆ど同じで、吉右衛門、歌六のおなじみのコンビなので、息の合った演技で、楽しめた。吉右衛門が、病気で三日間休演したが、今日は元気で、安心した。今の歌舞伎界で、吉右衛門が、もしいなくなったら、歌舞伎らしさを思い切り出せる時代物役者の中核が崩れるので、大問題である。今月の勧進帳のように、仁左衛門、幸四郎のダブルキャストで演じるなどの工夫をして、吉右衛門を大切にしていただきたいと思う。

雲助の平作が、荷を担ぐところは、その重さで、足元をふらつかせ、多少オーバーに演じていたが、役者の愛嬌が出るところなので良かったと思う。荷物が本当に重そうに見え、大変だなと思わせた。舞台を降りて、座席に行き、場内を歩くのが、演出で行なわれるが、座席周りを歩く時には、荷物がさほど重そうに見えないのは愛嬌か。

沼津は、悲劇の物語で、舞台の進行と共に、運命が暗転し、平作は自殺する事になる。暗い結末になるのは、観客はすでに知っているので、冒頭は明るく、笑いがあっていい。おなかの大きな妊婦が出てくるが、亡くなった勘三郎が平作を演じたときには、こちらも亡くなった小山三が演じていたが、梅乃がリアルに演じていて、笑った。平作に荷を預け、老人が重い荷物を苦労して運んだり、代わりに十兵衛が荷を運んだり、第一幕は明るく可笑しく進む。この後、一大悲劇が待っているので、これでいいと思う。

平作の娘が気にいり、ずうずうしく、平作の家に泊まることになった十兵衛。娘が結婚していると聞き、がっかりするのだが、このあたりから、どんどんと話が進み、それがサスペンスへと深まっていく。

荷を運んでもらった平作が、実は父で、好きになったお米が妹だった。実は実は、歌舞伎の常識であるが、出来過ぎの話であっても、分かってはいても、吉右衛門、歌六、雀右衛門の息の合った芝居に、最後は涙が出た。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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