8月15日(木)『八月納涼歌舞伎第一部、伽羅先代萩』
四階の幕見席で、納涼歌舞伎第一部を見る。なんとか座れたので、ゆっくりと見ることが出来た。最初の幕は、伽羅先代萩で、七之助が初の政岡を演じるのが楽しみな舞台だ。もともと、怜悧な芸風の七之助ではあるが、御簾が上がって姿を現した七之助は、きりっとした立ち姿で、乳母の責任感を表していた。昔は、こうした女性を烈女と表現したのだろうが、息子への愛情を胸奥にしまいながら、主君鶴千代への乳母としての責任を果たすと言う腹の芸を強く出し、好演だと思った。前半の飯炊き(ままたき)は、誰が演じても、ダレ気味になるが、茶道の道具で、御飯を炊くという、いかにも芝居じみた演出だが、七之助は、極めてさらりと、スピーディーに演じた。私は、茶道をもう二十年続けているが、私が驚いたのは、茶道具の扱いの上手さだ。茶道の手順の手慣れた扱いに、驚いた。袱紗の扱い方、道具の清め方,柄杓の扱い方など、基本に忠実でありながら、軽く、楽にこなしていた。だからこそ、茶道具で御飯を炊くという虚構が、嘘に見えないのだと思った。それでいて、茶道具でご飯を炊くと言う芝居の中で、常に主君への眼差しを忘れない所は、上手いと思った。
子役、中村勘太郎が千松、中村長三郎の鶴千代が、台詞がはっきりとしてうまい。正座して座ったたたずまいが、背筋が伸びて、手もきちんと膝において、綺麗で、この二人の助演に助けられて、七之助の政岡の主思いの気持ちが強く出たと思う。
私が気になったのは、千松が、お菓子を蹴飛ばし、一口食べて、幸四郎の八汐に殺されるシーン、舞台に誰もいなくなったのを確認した後、我が子千松に泣き崩れるシーンである。政岡が、烈女を外し、一気に母の情愛に移るところは、芝居を見る観客には泣き所ではあるが、ちょっと母の情愛を爆発させすぎだと思う。大げさに泣き崩れて、違和感をもった。襖の向こうには、誰が息を潜めているか、分からない。主君の事を考えると、泣き過ぎは危ないからである。
七之助初役の政岡は、とても充実していたと思う。ポスト玉三郎は、福助が病の中である事を考えると、七之助が、まずは筆頭だろう。七之助からは目が離せない。
幸四郎は八汐と仁木弾正の二役、八汐は、いかにも裏がありそうな暗い怪訝な表情で通して、弾正も不気味で良かった、悪の凄味を感じて好演だった。
二幕目は闇梅百物語、色んな化け物が踊る出し物。外国人は、大笑いをして、盛んに拍手を送っていたが、タヌキと河童が相撲を取ったり、骸骨が踊るが、私には、微妙だった。一幕見席、伽羅先代萩が1600円、闇梅百物語は1400円だったが、私は伽羅先代萩が2800円、梅闇百物語は200円でいいと思った。
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