2月3日(日)「歌舞伎座2月大歌舞伎」

今月2月の歌舞伎座は、初世尾上辰之助、三十三回忌追善狂言が並ぶ。昼の部は、義経千本桜、すし屋、暗闇の丑松に、追善狂言と銘打っていた。

初世尾上辰之助は、初代松緑を父に持ち、歌舞伎の花形役者として活躍したが早世した。現菊五郎が菊之助、亡くなった團十郎が新之助、そして初世辰之助、この3人を合わせて、三之助として、松竹はブームを起こそうとした。ちなみに、現、海老蔵が新之助、現松緑は辰之助、現菊之助の三人は、新しい時代の三之助と呼ばれ、松竹が売りだそうとした。旧三之助の一人である初世辰之助は、ブームを巻き起こそうと言う松竹の思惑が進まないうちに、早死にしてしまった。私自身、初世辰之助の印象は薄く、わずかに暗闇の丑松の主人公丑松を演じた舞台を記憶しているだけである。暗い芝居だが、短気で直情的な性分を、寡黙に演じていたことを思い出す。

今回は、追善狂言として、昼の部は、義経千本桜、すし屋。暗闇の丑松の二本と、団子売りの三演目である。

義経千本桜のすし屋の主役、いがみの権太は、初世辰之助の長男の松緑が演じた。正直に言ってロボットのような権太だと思った。特に母のおくらから金をせびり取るあたりは、つぎつぎと顔の表情を変えていくのだが、表情が自然に変化するのではなく、無理やりこしらえたような表情の変化だと思った。腹を父に刺されてからの述懐の部分も、なぜか人工的に、機械的に表情を変えていて、可哀想な感じがしなかった。仁左衛門であれば、小悪党ながら、最後は真人間に戻り、騙したつもりが、騙されて死んでいく悲劇的というか、喜劇的な最後を、心の中から演じるので、顔の表情も、ナチュラルに感じ、を悲劇的に思う。松緑は演技が空転するので、いがみの権太に同情できず、早く死んでと思ってしまった。

梅枝のお里は、幕が開くとすぐに登場するが、いきなり存在感を感じた。笑わせもし、哀しみにくれるあたりは、上手いと思った。若狭の内侍の新吾もでかい、梅枝も背がある、背の低い松緑には、不釣合いにも思えた。

暗闇の丑松は、菊五郎で、何度も見たが、あまりに悲惨で、江戸時代というのは、なんて酷い時代なんだと思わせる。ただこの芝居、長谷川伸作の新作歌舞伎なので、無理やり江戸時代を暗く描いているように思う。現代でも悲惨な殺人事件は起きているが、丑松が、いきなりお米の母と浪人を殺してしまうのは、いくら最愛のお米を母が、妾奉公に出そうとしているからといっていきなり殺すのは無理がある。それだけお米が好きなんだろうが、とっさの殺人を犯す狂ったようには見えず、丑松の性格つくりが良く分からない。結局二人殺しておいて、二人は逃げて、口入屋の兄貴を頼るのだが、身を隠している間に、お米は遊女として売られ、ある店で働いている時に、丑松が客として来て、会い方として部屋に呼ばれお米と気が付いて、お米をなじることになる。簡単に兄貴を信じてしまう単純さ、お米の言い分を全く聞かない強情さ、お米が自殺して、ようやく兄貴が売り飛ばしたと納得する勘の悪さ、直情行動型の丑松を、菊五郎が、本当にさりげなく、いろいろな顔を表に出しながら演じている。菊五郎の手にいった芝居は、上手く、見る側の感情を引き出してくれるから、無理なく憤れるし、悲しい人生だんなと、涙も落せるのだ。暗闇の丑松は、辰之助が長生きしていたら、辰之助の当たり役になったろうが、早世したので、この役が菊五郎の完全な持ち役となった。松緑は、菊五郎の自然な演技を、近くにいるのだから盗み取ればいいのにと、勝手に思う。

団子売派、仕事の都合で見ることが出来なかった。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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