10月8日(月)『歌舞伎座10月夜の部、十八世中村勘三郎七回忌追善、宮島のだんまり、吉野山、助六曲輪初花桜』
歌舞伎劇評2018年10月歌舞伎座
歌舞伎座の10月公演は、十八世中村勘三郎七回忌追善の興業である。勘三郎が亡くなってもう6年も経つのか、ついこの間、勘三郎襲名で歌舞伎界が沸いた事が、遠い昔の様に感じられる。
夜の部の演目は、宮島のだんまり、吉野山、助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)。助六は仁左衛門、揚巻は玉三郎ではなく七之助、玉は母満江を務めた。
仁左衛門の助六は荒事の助六で、直情的で、激しく、勢いがある。勘九郎の白酒売りは、亡き勘三郎を思わせて、しゃべり方も似せているのだろうか、懐かしさで、涙が出た。
さて、最初の出し物は、いきなり「宮島だんまり」で始まった。着飾った歌舞伎役者が、次々に出て来て、無言で探り合う、いかにも歌舞伎らしい無言劇なのだが、通し狂言の中でのだんまりだと、それまでのストーリーから、例えばお家の重宝とか、紛失した名刀とか、何を奪い会っているのか、見当がつくが、いきなりのだんまりでは、何を奪い合うのか分からないので、きょとんと見るしかなかった。更に、役者たちも、何かを奪い合っているようには見えなかったので、様式美に溢れているとはいえ、退屈だった。登場する役者は、知った顔ばかりだが、抜きんでたトップスターはいないので、いきなり眠りに誘われた。プログラムの最初に、だんまりを持ってくるのは、どういう意図があるのか、松竹に聞きたいところだ。四階席で一幕見していた外人さん達は、これだけを見て、首を傾げて帰っていったが、楽しみにしていた歌舞伎で、一体何を感じたんだろうかと、不安になった。最後の袈裟太郎の引っ込みは、上半身は荒事の両手六法、下半身は傾城の歩き方である八文字と言うのが珍しく、面白かった。若衆姿の萬次郎がいかにも若く、とぼけていて笑った。
吉野山は、静御前が玉三郎、佐藤忠信が勘三郎の長男の勘九郎。玉三郎と勘三郎のが演じた吉野山が偲ばれる。勘九郎には、勘三郎の様な柔らかさはないが、勘九郎の芸の硬質さが、忠信の武士としての強さに繋がり、平家との戦いを振り返る戦物語が力強く楽しめた。
吉野山は、忠信がスッポンから出てきただけで、普通の忠信ではなく、狐がなりすました忠信というのは明らかなので、出の際に、いったん狐手をすれば、狐が化けた忠信と分かるのに、何度も狐手をするので、「あっ又狐手やってるよ」と、美しい二人を見る気分が切れてしまう。この幕は、狐忠信を前面に出す幕ではないので、途中何度も狐手を出すと、美男美女の織り成す踊が崩れるように思うし、忠信の手ごわさも消えてしまうと思った。玉三郎の静御前は、美しさとともに、凛とした気品があり、玉三郎の美しさを堪能するとともに、懐かしく勘三郎を偲ぶことができた。
最後が、仁左衛門の助六。大阪に見に行った記憶があるが、東京では、20年振りとなる。揚巻は、玉三郎ではなく七之助が演じ、玉三郎は、母満江を務めた。
勘三郎七回忌追善の舞台で出た助六だが、勘三郎がかつて演じた白酒売りを、勘九郎が務めた。勘九郎は、セリフ回しを、勘三郎に似せたので、目をつぶると、勘三郎が舞台にいるようで、懐かしさのあまり、涙が出てしまった。勘三郎の白酒売りが出て来ると、助六の芝居なのに、勘三郎が舞台をさらってしまって、この部分だけで満足した思い出が蘇る。次回は、勘三郎も演じた洒脱な通人を、勘九郎が務めたならどんな風に演じるか、先の楽しみが増えた。
このところ助六と言えば、海老蔵が演じていて、海老蔵ならではの、エグザイル系というか、ワイルドで、エロい助六を、観客の一人として堪能してきた。海老蔵は、色気たっぷりの美男の助六で、いかにも色男で、無邪気で、無鉄砲で、女にモテるのは当たり前、花魁たちにも、もてもてで、揚巻のいろになっているという助六の設定が、まるで海老蔵が助六であるかのように見えて、くすぐられ、それはそれで楽しい助六である。
一方で、今回、仁左衛門の助六がいいと思ったのは、媚びずに、きっぱりと荒事一直線に演じていたためだと思う。勿論仁左衛門だから、美男で色男なのは、見ていて当たり前、でもそこは飛ばして、なんで助六が、吉原で遊んでいるのか、その狙いが、源氏の重宝雲切丸探し、ひいては敵討ちをするためと分かるためで、この描線がずれないから、モテまくっていても、そこには溺れず、自惚れず、揚巻に惚れられても、毅然として意休に対処しているところが、きっぱりとしていて、いいと思った。髭の意休に挑むシーンも、真剣勝負で、迫って行くところに、江戸っ子らしさが出ていて、仁左衛門円熟の助六だったと思う。仁左衛門と言えば、関西歌舞伎の人というイメージがあるが、きびきびとした動き、きっぱりとした口跡、まるで江戸っ子が舞台に入るような江戸弁、大人の助六を観た感じがした。
玉三郎と仁左衛門コンビの揚巻と助六だと、二人の色模様中心に、二人の美しさに見惚れて舞台を見た記憶がある。色彩感覚が豊富な吉原の中で、揚巻の金銀をあしらった豪華な衣装を着る玉三郎の美しさ、仁左衛門のキップのよさと、口跡の鮮やかさがあいまって、うっとりとして見ていたものだ。今回、最初、何で揚巻が七之助で、玉三郎が演じないのか不満だったが、仁左衛門と玉三郎の色模様中心に、舞台を観る必要がないので、助六中心に舞台を観ることが出来て、仁左衛門の助六の、荒事の勢い、意地、江戸弁の叩き込み方のうまさ、意休への挑戦が際立って見え、海老蔵とは違う助六を堪能することが出来たと思う。仁左衛門中心に舞台を観ることができて、大人の助六を観られて大変楽しかった。七之助の揚巻は、きっぱりと助六が素敵だと、声を張って言う所が、良かったと思うが、本当に助六と出来ているのかと思う位、全体的に冷たい感じがする揚巻だった。歌六の意休は、白鬚が映えて、堂々として立派だった。これからは、髭の意休は、歌六で決まりだ。
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