2018年5月16日(水)、23日(水)『歌舞伎座團菊祭五月大歌舞伎を観る。菊五郎の弁天娘女男白浪』

團菊祭五月大歌舞伎の夜の部を16日と23日に観た。菊五郎の弁天小僧は、私のお気に入りの演目で、もしかすると今回が最後かもしれないと思い、2度観に行った。

菊五郎の弁天娘女男白浪は何度も観ているが、何回見ても楽しく、兼ねる役者、菊五郎の芸を楽しめる、当たり役だと思っている。

弁天娘女男白浪は、世話物で、簡単なストーリーを書くと、女装の美少年が、鎌倉の呉服店でワザとバレるように万引きをして、実は万引きではなかったと因縁をつけ、金を脅し取ろうとする。しかし玉島逸当に、身体の彫り物を見られ、男だろうと見破られると、もろ肌を脱いで、彫り物の入った身体を見せて、男だと正体を表わし啖呵を切る、という物語である。上品な武家の娘が、もろ肌を脱ぐと、実は美少年で、しかも白い肌に見事な桜の刺青をしていて、ふてぶてしく開き直る。女に異装した男が、実は桜の彫り物をしている美少年だったという、突然の飛躍が眼目の芝居である。

菊五郎は、若い頃のシャープな体では、勿論なくなっているが、太目の体を、多少ダイエットし、デブに見えない工夫は立派。美少年がもろ肌抜いたら、デブではシャレにならない。南郷力丸は左團次が務めた。

派手な武家の娘の衣装を着ているためか、75歳の菊五郎は、花道を、娘の歩き方ではない、どこかおぼつかない歩みで、いささか年齢を感じさせが、舞台正面に座ると、恥じらいを持った、結婚間近な、ういういしい武家の娘に変わっていたのに驚いた。高い声を強調して、若い娘の高揚したしゃべり方をして年齢を感じさせない。男とバレるシーン。「何で私を男とは?」男と見破られて、がくっと頭を落として、「兄い、もう化けちゃいられねえ、おいらしっぽを出しちまうぜ」で男の声に変わる。女声のいささか芝居がかった声から、ふてぶてしいが、甘く仲間内にこぼす声、この声の変化の自然さに、瞬間ぞくぞくとする。

声の使い方だけでなく、菊五郎は、決まりの形が美しい。「知らざあ言って聞かせやしょう」の名せりふを言う場面の胡坐の形の良さ、店員から殴られて、番頭から算盤で頭を叩かれ、額に傷を負って体を伏せている時の形の良さ、美しく見えるように計算され尽くしていると思う。

更に、菊五郎の弁天小僧の良さは、小道具の扱い方にも表れる。菊五郎は、小道具の、やっつけ、が上手い。女装姿での扇子の扱い、ゆったりと扇子を使い武家の娘の優雅さを表現し、恥ずかしいと扇子で顔を突然隠すなど、小道具をうまく使っている。

男と見破られて、煙草盆を借りて、莨を吸うが、煙管の扱い方、台詞を言いながら、くるくる回したり、髪から抜け落ちた髪飾りを煙管に差し込んで、煙管の詰まりを取り、額の傷口を抑えていた紙で、煙管を拭ったり、台詞回しと、小道具の手順が安定して美しい。

75歳の役者が、小道具を自在に扱いながら、役者の実年齢を感じさせず、年齢を遙かに超えて若く見せている。これが芸なのだと思わせた。

芝居の手順も、楽しい。結婚間近な武家の娘が、ワザと他店で買った緋鹿の子を持ち込み、店員に、緋鹿の子を見せてくれと言って、手元に出してきた緋鹿の子がたくさん入った箱の中に、持ち込んだ緋鹿の子をわざと落として入れ、すかさず拾い上げて、胸に差し込む。この行為を、万引きを発見させるように、わざとバレバレで行う。このあたりの手際の良さは、菊五郎は、手慣れて、見事だ。このあたり楽しんで演じているようで、余裕綽綽だ。

16日には、持ち込んだ緋鹿の子を落とし、それを右手で拾い上げ、左手は店の緋鹿の子を拾い上げて、見比べて、両方同時に落とし、右手で落としたばかりの持ち込んだ緋鹿の子を拾い、胸に差し込むと言う、わざとらしいと言うか、店の者に万引きする処をわざわざ気がつかせようという仕草を見せた。23日には、胸に潜ませた緋鹿の子を、緋鹿の子の詰まった箱にそっと置き、別の緋鹿の子を両手で見て、箱の上に戻すやいなや、自分が持ち込んだ緋鹿の子を胸に戻した。このあたり、自由自在の演技である。

段取りが決まっている芝居だが、決まり決まりが、自然に演じられ、ふてぶてしい所はふてぶてしく、啖呵もカッコよくて、名調子で、余裕を持って、菊五郎が、楽しんで演じていることが観客にも分かり、楽しさを共感できた。左團次の南郷力丸との会話も、普通に会話をしているように自然で、江戸時代人の息遣いが感じられたし、二人だけの会話の甘えた話し方が、二人の密接な関係を暗示していて可笑しかった。

鳶頭清次を演じた松也は、以前浅草で、弁天小僧を演じていたが、菊五郎のような余裕は感じられなかった。一杯いっぱいだったと思った。ただ弁天小僧のニンはあると思うので、ダイエットして、松也の一層成長した弁天小僧を見たいものだ。親父の松助が、昔鳶頭を演じた事もあり、子の松也が同じ鳶頭で芝居に出て来て、懐かしかったが、松也は、弁天小僧が出来る役者なので、今回は、舞台を観察して親父様の芸を盗んで欲しい。松也のfanなので、あえて応援したい。

海老蔵が、親父も演じた日本駄右衛門を付き合ったが、貫禄を出そうと、目をやたら剥いてうるさかった。ここはさらっと演じればいいと思う。はっきり言って、この芝居は菊五郎の芝居で、観客は菊五郎を見に来ているので、海老蔵を見に来ている訳ではない。主張しすぎだ。亡くなった團十郎は、日本駄右衛門さりげなく演じて、しかも舞台を締めていた。海老蔵の、日本駄右衛門は、熱演過ぎて、うるさいと思った。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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