平成30年2月21日(水)『金子兜太さん死去、98歳』
朝から曇り空、今日は、空気がひんやりと張り詰めていて、再び寒くなってきた感じがした。今日は、6時半に起き、原宿ゴールドジムが改装で休みのため、原宿アネックス店に行く。同じ原宿駅下車だが、竹下通り口にでて、竹下通りを、明治通りまで歩く。さすが早朝のため、人は少なかったが、シャッターを下ろしても、原色に塗られた町のけばけばしさは消えていなかったし、タレントショップの閉まったシャッターの外には、A4版の、スターの写真が、しまわれもせず、風に揺れていて、どことなく寂しさも感じれれた。
朝、私が食卓に着くと、妻の尚美が、金子兜太さんが亡くなったと言ってきた。NHKのおはよう日本を見たが、放送がされない、すぐにYASHOOのニュースを見たら、すでに記事になっていた。98歳の大往生だった。
去年11月の現代俳句協会創立70周年記念パーティーが、帝国ホテルで開催された時に、お会いしたのが、最後だった。パーティーでは、挨拶はなく、記念日の主役なのになぜスピーチがないのか、訝ったが、取材すると、すでに話ができる状態ではなかったそうだ。それでも、気力を振り絞り、大きな声で、兜太さんの父が作曲した,秩父音頭を歌って会場を後にされた。
私は、俳句王国を担当するため、松山局に転勤したが、番組で、数回金子さんと仕事をする機会があり、色紙も書いていただいた。細かなことを気にされず、大胆に言葉を選んで、俳句の社会性を考えている方だった。
松山転勤にあたって、同期のアナウンサーと呑んだ席で、松山に行くなら、俳句を作って行かないと駄目だ、と言う話になり、そこで、私が最初に作った俳句は、「春風に押され流され出る東京」だった。しかし仲間内で、それでは松山に行きたくないという気持ちがもろに出ていて、まずいと言う判断で、「春風に誘(いざな)われ行く子規の里」と言う挨拶句を作って松山局に行った。
松山での俳句王国の担当が3年で終わり、番組で最後に金子さんにお会いした時、金子さんが、「鈴木さんは、俳句番組の司会はやっても、俳句は作らないの?」と話が出た。そこで、私が作った二句の俳句を先生の前で、披露した。金子さんは、両方を見比べて、「春風に押され流され出る東京」、の方が、気持ちが正直に出ていて、いい句だ。もう一つの俳句は、嘘っぽくて、零点といわれたのが、懐かしく記憶に残っている。ご冥福をお祈りしたい。
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