2018年2月4日(日)『歌舞伎座二月大歌舞伎昼の部、春駒祝高麗、一條大蔵譚、暫、井伊大老』
歌舞伎座二月大歌舞伎昼の部を観た。春駒祝高麗、一條大蔵譚、暫、井伊大老の四本である・最初の、春駒祝高麗は、仕事で見る事ができなかった。
一條大蔵譚は、新幸四郎が長成を務めた。以前、染五郎時代に見た記憶があるが、確かではない。綺麗な顔立ちの幸四郎は、白塗りで、鼻筋が通り、目鼻立ちが整い、海老蔵と並んで、歌舞伎界の美男俳優であり、貴族の役は、にんにぴたりだ。美しい顔をあえて、痴呆的に崩さず、口は、僅かに開けるだけで、大きく口を開けるだけで馬鹿と思わせるやり方とは違い、呆けた顔ではあるが、貴族の品格を失わず、美しい呆けた長成で、私は、楽しんでみることが出来た。吉右衛門の長成もいいが、呆けた顔と時代物役者の武ばった顔を行き来するのではなく、美しさを残した呆けた顔と貴族的な透明感のある幸四郎の長成の、役者としての、ニンのありようを強く感じた。扇を顔の前に動かして、呆けた顔から、きりっとした顔にがらりと変わる所も、不自然さがなく、お京の舞に合わせて、すわりながら扇を動かすところも、自然でよかった。新幸四郎の長成は、あえて、嘘っぽい呆け顔や過剰な呆けた動きをせず、さらりとやっていたところが、目を引き、お手柄だったと思う。
暫は、歌舞伎十八番で、鎌倉権五郎は海老蔵が勤めた。赤い隈取も美しく、大きくて、立派である。ドラマとしては、清原武衡にまさに首を討たれようとする直前に、鎌倉権五郎が、「しばらく」と言って、乱入し、処刑を防ぐだけという物で、筋としては、何と言う事はない。暫は、正に役者を見に来る、行くための芝居で、権五郎が、超絶、強く、格好が良ければそれでいいのだ。見る側に、権五郎のパワーが、海老蔵の眼力で、伝わればいい芝居で、三階席からも、海老蔵演じる権五郎のエネルギーをいただいた感じがした。鴈治郎、左團次、右團次他の出演、色彩感覚が素晴らしく、ディス イズ KABUKIという派手な舞台で、日本美の一つの方向性である、日光陽明門に似た、派手さ豪華さが、素敵だった。
最後は、吉右衛門の井伊大老。先代雀右衛門のお静の方が、まだ目に焼き付いている。暫とは打って変わった、色彩をそぎ落とした、茶道に通じる、詫び錆びの世界である。井伊大老は、茶道の一派を作った江戸末期の代表的な茶人だから、これでいいのである。暗い、居室で、延々と、直助とお静の方との会話が進んで行く。江戸時代の大名は、正室だけでなく、たくさんの女性に、かしずかれていたが、長年生活を共にした、正室以外の女と交わす、彼女にしか言えない、心の中の叫びを、北条秀司は、うまく台詞にしている。派手さは全くなく、地味な芝居であるが、二人の会話に耳を傾けた。来世も、その先の来世も、添い遂げようというセリフに泣かされた。吉右衛門は、こうした芝居も、圧倒的に存在感を発揮して、うまい。お静の方は、現雀右衛門。しっとりとして、井伊大老への愛情の深さを、静かに演じていた。
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