2017年10月20日(金)『歌舞伎座10月夜の部、沓手鳥孤城落月、漢人漢文手管始、秋の色草』
演目は、沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうらくげつ)、漢人漢文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり)、秋の色草の三つ。玉三郎が、孤城落月と秋の色草に出演するので、それだけが楽しみである。
沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうらくげつ)は、坪内逍遥作の新作歌舞伎である。豊臣秀頼の母の淀君が、大阪城の落城の直前の、徐々に気が狂ってくる、心理の変化をセリフで聴かせる、新作芝居である。私が、この芝居を観たのは。歌右衛門が最初で、最近では先代芝翫で見たのが最後だった。歌右衛門は、おどろおどろしく、精神に異常をきたしてくるところを、台詞と言うより、歌右衛門の、存在で見せてくれた記憶がある。
私は、この芝居、天下を支配した豊臣秀吉の妾ではあるが、豊臣家の正式な二代目となった秀頼の母という、国母ともいうべき特別な存在であった淀君が、家康に次第に追い詰められて、誇り高い精神が、次第に異常をきたし、気が触れてくる、ところが眼目だろう。玉三郎が、淀君の心理の変化を、どう見せるか、次第に気が触れてきての、最後の狂乱振りをどう見せるのか、まさに玉三郎の演技だけが楽しみという舞台だった。
栄耀栄華を誇った豊臣家も、徳川家康に攻められ、最大限の抵抗をしたものの、本丸を残すだけと、落城寸前である。淀君が、混乱の状態から、次第に病んで、状況判断が出来なくなり、最後には、わが子も分からない程、錯乱し、最後は、発狂してしまう所で、舞台が終わる。玉三郎は、美しさと、気品を失わず、淀君を演じたと思う。
最初の幕、奥伝では、千姫を脱出させようとする、企てが露見し、首謀者の大蔵卿を、淀君自ら詰問し、長刀で切って捨てる。以前見たこの芝居で、長刀で大蔵卿を切るシーンがあったかどうか記憶がないが、城内は、明日どころか、今日をも知れぬ我が運命に、逃げるかどうかも含め、揺れているが、この幕は、淀君の毅然とした様子、風情に、秀頼の母としての矜持を強く感じた。「日本中私の箱庭」という言葉が印象的だ。このあたり、追い詰められつつあり、その怒りの対象が、秀頼の妻、家康の娘の千姫に、ぶつけられていく過程が、良く分かる。毅然とした淀君の気品を、美しい玉三郎が、上手く演じていたと思う。
乱戦では、場内の混乱した様子が描かれるが、大砲の炸裂する音を含め、電子音的な効果音が上手く使われていた。混乱の中、千姫が脱出していくのだが、ここは脱出しましたよと言う事を見せるだけの幕。
最後の幕は、狂乱の,城内山里糠庫階上。豊臣の栄華も、最後の日を迎えた。本丸も、大砲が炸裂し、いよいよ淀君は、気が狂ってくる。玉三郎が、次第に、わが子も認識できない位に、狂乱していくのだが、玉三郎の美しさが、ここでは邪魔になり、歌右衛門で感じた、おどろおどろしさは感じず、狂うというより、秀頼への愛情が、強く出ていて印象的だったが、強く出し過ぎた感じもした。玉三郎演じる淀君が、美しく狂っていく様子がリアルで、恐ろしかった。玉三郎は、お客が、醜く混乱し、その果てに狂う姿を見に来たのではなく、自分が気が触れた状態になっても、美しさを失わない玉三郎を、観客が見に来ているのを承知で、ぎりぎりの当たりを狙ったと思う。確かに、美しく狂っていた。歌右衛門には歌右衛門の、先代芝翫には、芝翫なりの淀君の造形があったので、玉の、美しく狂う、これはこれで良かったと思う。
漢人漢文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり)は、歌舞伎を観始めた頃、観た記憶がある。中国人の、「…あるよ」、という、言い回しの言葉が、繰り返し出てきて、可笑しかったが、何か中国人を馬鹿にしたような印象を少し持った記憶が戻って来た。差別を笑うのは、歌舞伎に切っても切れない、おおらかな差別意識なのだが、今回は、「あるよ」、という語尾の表現が、一回しか行われず、会場からは、多少の笑いがあっただけで、突っ込んで、あくどく笑わせる事はなかった。歌舞伎の現代的な進化だろうが、江戸時代の人たちには、中国人を、いつも観られるわけではなく、…あるよ、という表現で、中国人と知れる、一種の記号で、差別意識は、全くなかったのである。逆に、東洋人が、「・・・・あるよ」、と言うと、現代でも中国人と判断するので、逆に、凄い事だなと思う。江戸時代人の、言葉の造形力を感じた。
芝居自体は、中味のない芝居だ。朝鮮国王の使者が、江戸時代何度も、日本に来たが、明和元年、1764年、使節の一人が、対馬藩の通訳鈴木伝蔵に殺される事件が起きた。この事件を題材に、寛政元年1789年、大阪角座で初演された。作者は並木五へい。
相良家の若殿様和泉之介は、朝鮮ではなく、芝居では、唐の使節に変えられている。和泉之助は、使節供応の役を命じられ長崎で、唐の使節をもてなす。和泉之助は、いかにも江戸時代のバカ殿に造形されていて、供応のために来た長崎で、郭の大夫に惚れて、身請けしたいと言い出す始末。更に、唐に献上する、家宝の菊一文字の槍の穂先を紛失してしまう。高麗蔵が、このバカ殿様をうまく演じていた。和泉家の家老、伝七は、これも廓の高尾太夫と恋仲、いい気なものである。ここに通訳の典蔵が登場する。典蔵は、最初は、とても親切ないい人として登場する。伝七が、借金50両を取り立てられ、返せず苦しんでいる処に、典蔵が、たまたまやってきて、50両を貸してあげる。ここで二人の取引が成立する。典蔵は、伝七と高尾太夫が知り合いという事を知っていて、伝七に、花魁の高尾太夫に口をきき、自分が身請けできるように、伝七に頼んだのである。伝七は、50両をもらうが、高尾とは惚れあった中である事は典蔵には伝えず、了解したと、請け負ってしまう。ここで、伝七も取引を持ち掛け、家宝を、唐の使節に献上しないといけないので、偽物を本物として提出するので、見逃して欲しいと頼み、典蔵は了承する。伝七は、高尾との仲を取り持ってほしいと頼まれた時に、高尾とは、相思相愛の中なので、難しいと言えばいいのに、切っぱりとは言わない。この伝七の、いい加減さが、その後の展開に大きな影響を与える。
高尾が、酒に酔った勢いで。私と伝七は、恋仲なのと、典蔵に話してしまう。ここで、高尾と伝七が恋仲である事を知った典蔵は、裏切られたと、怒り心頭になる。いい人から、悪役というか敵役に、大変身する。家宝を献上する場面で、使節の責任者が、病気になり、典蔵がその代わりを務め、献上品を確認する場面で、和泉之介が献上した、槍の先は、偽物だと主張し、伝七や、和泉之介は、面子を潰される。伝七は、あれだけ頼んで、了承したはずなのに、最後の最後に、偽物だと、言われて、怒りに燃えた伝七は、典蔵を暗殺してしまう。伝七のいい加減さが一番いけないのだが、典蔵を殺した後で、槍の穂先が見つかって、目出度し目出度しで芝居は終わる。まあ、中身のない芝居ではある。
高麗蔵が、和泉之介のバカ殿ぶりをうまく見せた。和事のつっころばし、という役だが、ややオーバーに、演じたが、儲け役だった。主役の伝七は、ぴんとこな、という和事味のある役だが、鴈治郎は太りすぎていて、和事らしさが、ビジュアルとして、見えてこない。この役は、やはり、見た目が重要で、関西歌舞伎で言えば、仁左衛門か、愛之助の役だろう。鴈治郎という名前は大きいが、役者の名前ではこの役は演じられない。和事は、多少のデブなら目をつぶるが、あからさまなデブは、見た目辛い。鴈治郎は、痩せないと駄目だ。私には、優柔不断な男にしか見えなかった。典蔵は、人がいい、普通の人だが、伝七に裏切られた知った瞬間に、怒り心頭になり、次第に悪の魅力を発揮しだす。平然と、偽物と言い切る所が、悪役らしく立派である。顔は平然としているが、悪の魅力が漂ってくるところが素敵だ。芝翫の典蔵に、同情しながら、ついつい観てしまう。悪も魅力に引っ張られるのだろうか。芝翫は、時代物も、時にいい味を出すが、こうした敵役も、芝翫の持ち役になると思った。世話から時代の変化も上手いと思った。高尾は七之助、自分の周りの事しか関心がなく、伝七しか眼中にない、愛に生きるというか、本質的に能天気な、花魁役をうまく演じた。
まあ、芝居としては、見どころはなく、つまらない芝居である。家宝を紛失し、何気なくその家宝が、出てきて、めでたし、めでたし、では、ふざけんなだだろう。
最後は、秋の色草、長唄舞踊である。耳で、三味線の音色で、秋を感じられるところが、日本人に生まれてよかったと思うところだ。玉三郎が、ゆっくりと登場し、静かに踊り始めた。舞台に存在するだけで、美しさに、痺れる。玉三郎健在である。梅枝、児太郎が出てきたが、この二人より、圧倒的な若さ、美しさをみせた。梅枝、児太郎が琴を弾いたのが、驚いた。儲けた感じがした。踊りの中身に関しては、良く分からないが、とにかく美しさを堪能して、歌舞伎座を出た。
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