2017年8月11日(金)『歌舞伎座8月2部、修善寺物語と東海道中膝栗毛「歌舞伎座捕物帖」』

 修善寺物語と、新作、東海道中膝栗毛「歌舞伎座捕物帖」の二本立て。

 修善寺物語は、岡本綺堂の原作、伊豆の面打ち夜叉王は、源頼家から、自分の顔を映した面を作るように依頼される。しかし、何度面を打っても、面には精気がなく、死に顔のようになり、頼家が、督促の爲、屋敷に訪れた際にも、腕が未熟と言う理由でいつできるか分からないと逃げる。この時、夜叉王の上の娘を、頼家が気に入り、局に迎えると約束し、修善寺の館に連れて行く。この日、北条氏の配下が、頼家を襲い、殺害する。娘は、夜叉王が、制作した頼家の面をつけて、頼家の身代わりとなり戦うも、負傷し、息絶え絶えに、我が家に戻る。すると、夜叉王は、頼家が、殺されたことで、自分が頼家の面を何度作っても、精気がなく、死相が現れたのは、頼家の死を直感で感じ、彫った我が腕前は、神業であると、喜び笑い、その喜びの陰で、娘は息を引き取ると言う芝居である。

 この芝居の見どころは、何なのか、実は、よく分からない。夜叉王は、面打ちとして、最高の技量を誇る職人である。自分の力量を、何度打っても死相の出て来る頼家の面から、実際に頼家が死ぬと、これを予想していたとして、自慢して自惚れるし、娘の死顔を筆で、紙に写して、描いたりと、芸術至上主義の不気味な男が主役である。この劇は、結局何を語りたいのか良く分からない。この夜叉王を、弥十郎が重圧に演じていた。この幕、弥十郎の兄吉弥,父の坂東好太郎の追善公演であった。

弥十郎、歌六、団蔵と、いつもは脇の役者が、主役を張れる演目があってもいい。三部制の時に、こうしたチャンスを作り、脇の役者に、主役を演じさせて、その腕前を見せて欲しいと思った。

 次は、新作、東海道中膝栗毛「歌舞伎座捕物帖」。去年の弥次喜多道中の二作目である。今回は、歌舞伎座の中で、殺人事件が起き、犯人の解明をする、ミステリー作りの舞台である。はっきり言って、その場その場は面白かったが、終わったら、どんな芝居だったか思いだせない。そんな芝居だった。義太夫の中に、三味線の笑三郎が出ていたり、義太夫の太夫に、錦之助がでていたりしたのは面白かった。が、それだけのこと。犯人の解明に、弥次喜多が関わる訳ではなく、周りにいるだけで、犯人探しに、主体的に活躍している訳ではないので、ストーリー的に、問題があるようだ。単なるドタバタコメディーで。暑気払いの一幕と言う所か