2017年7月19日(水)『国立劇場、菊之助の一條大蔵譚』」

 尾上菊之助。父が菊五郎、嫁は吉右衛門の娘で、吉右衛門は義父にあたる。両親が演じた大蔵卿を、菊之助が、どんな指導を受けて、どのように演じるのか、楽しみにして、夏の盛り、高校生たちで満員の、国立劇場まで、足を延ばした。

 これまで、富十郎、勘三郎、吉右衛門、菊五郎、仁左衛門と、名優が演じてきた、一條大蔵卿長成。平家にも源氏にも組せず、平家の監視の目を騙すため、20年来の作り阿呆を我が身としてきた、その長成の人物造形をどう演じるかを、期待したが、期待外れに終わった。 

鬼次郎とお京の芝居の後、御所の門が開き、ここで、ふっと長成が現れるのだが、口を大きく開けた、作り阿呆の顔が、芝居を超えて、馬鹿丸出しの様に見えて、私は、仰け反った。演技ではなく、素の、生まれながらの痴呆の少年貴族が、舞台に出てきたのかと思い、ビックリしてしまった。大きく口を開けた顔が幼く、優しく、しかし醜く、身振りは、オーバーアクションで、これは、作り阿呆ではなく、本物の阿呆なのかと思ってしまった。美形の菊之助が、突っ込んで、大袈裟に阿呆ぶりを見せると、本物の馬鹿公家になり、後になり源氏再興を夢に見ている元の貴族に戻れるのかと不安になってしまった。

菊之助の大蔵卿は、まるで十代の少年貴族にしか見えず、常盤御前と結婚して、子供を二人もうけている位だから三十代後半から四十代の設定の中年から老年に差し掛かかった貴族なのに、そうは見えない。本心は源氏贔屓の公家なのに、それをオープンにすると、平家に睨まれるので、便宜的に、阿呆の振りをしているようにはまるで見えなかった。根っからの阿呆にしか見えなかった。作り阿呆は、あくまで便宜的にしているのであって、本当の顔を隠していないと、成立しない。ここが一番の期待外れだった。この役は、もしかすると菊之助には、ニンがないもかもしれない。

この役は、素顔に戻った時の、源氏贔屓の、強面の顔が必要なのだが、まだ菊之助には時代物役者の立役のイメージが薄く、女形の色が濃く、優しすぎて、美形すぎて、バックボーンに、時代物の立役の顔がないから、ぶっ返っても、凄味が効かないのだと思った。表の強い顔がないから、裏の顔の、作り阿呆が、阿呆に目えず、根っからの阿呆に見えるのではないかと思う。

鬼次郎の彦三郎は、声が良く通り、きっちりと演じていた。お京は右近、常盤御前は、梅枝。菊之助、梅枝、右近と、歌舞伎界を代表する綺麗な顔が、3人並んで、舞台上の美しさは堪能できた。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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