2017年4月20日(木)『歌舞伎座4月大歌舞伎、夜の部、傾城反魂香、桂川連理柵、奴道成寺』

歌舞伎座4月興行を見る。最初が、傾城反魂香(けいせいはんごんこう)、桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)、奴道成寺の見取り公演であった。

 傾城反魂香は、近松門左衛門の作で、土佐将監閑居の場がでた。別名どもまた、と呼ばれている。主人公の浮世又平が、どもりなので、どもまた、と呼ばれているのだ。

 大津絵を描いている絵師の又平が、師匠の将監の処に、見舞いにかこつけて、土佐の名前を欲しいと言いに行くのだが、師匠は、実績がない又平に、土佐姓を名乗る事を許さない。弟弟子には、土佐姓を名乗るのを許した事を知ると、望みを絶たれた又平は死を決意して、手水鉢に自分の姿を書くと、何と絵が反対側に抜ける奇跡が起こる。それを見た、師匠は、又平に、土佐姓を許すという筋である。

どもまたは、吉右衛門の当たり役である。今回も円熟した吉右衛門の芸の神髄を観ることが出来て、眼福だった。吉右衛門のどもりは、言葉だけどもるのではなく、心の中の苦悶が、深い思いが、どもりの中に籠っていて、わざとらしさがなく、自然で、心を打つ。他の役者がどもまたの役をやると、どもりのしゃべり方ばかりに、夢中になって、得意がってどもり、これが芸だと、どもりの演技を強調してくるので、辟易とするのだが、吉右衛門のどもりは、心の葛藤を、素直に言葉に出来ないもどかしさが、どもりと重なり、見る側は心を打たれるのだ。

更に、又平の表情がいい。何度も師匠を訪ね、土佐姓を名乗る事を願い出るが、許されない、今度も多分駄目だろうと、思い詰めているのである。絶望を心に持ち、どことなく呆けた顔で登場する。今日、土佐の名前を許してもらえないのなら、もう死のうかと、絶望している表情ではあるが、必死な形相ではない。花道七三で、女房のおとくが、何か思い詰めて止まると、又平は、おとくとぶつかるのだが、又平は、全く無意識のうちに進む。又平の思いは、もう先にあり、妻とぶつかることは何でもないのだ。

菊之助のおとくは、初めて見た。どもりの又平に代わり、饒舌なおとくが、土佐の名前が欲しいと、師匠に懇願する、おとくのしどころだが、一途な思いが、言葉に溢れていて、好感を持った。饒舌だが、出しゃばらない、ところがいい、「手も日本、指が10本ありながら、どうしてどもりに生まれついた」と嘆くところは、女形としての美しさがあるので、女の哀しみが、一層強調される。

おとくが、又平に代わり思いを訴えるが、師匠に、受けつけてもらえない。この間、終始、又平は、頭を下げて、お願いしているのだが、許されないと決まると、又平は、切腹してして死のうとする。このあたり、死を決意して、わざとらしい演技をする役者が多いが、吉右衛門は、呆けたような表情、絶望した表情を、そのままに、死のうとするところが、素晴らしい。これをおとくが止め、最後に、手水に絵を描くように勧めると、これが絵師としての最後の絵、命を込めて描こうとする決意で、俄然目が輝き始め、手水を、力強く清め、渾身の絵を描くところが、魅せる。そして絵を描いた後、再び又平は、切腹しようとするのだが、おとくが、手水に水杯をするために水を汲みに行くと、絵が抜けているのを発見して驚く、又平も、恐る恐る観に行くと、裏側にも絵が抜けているのを発見し、驚くのだが、その驚愕した表情が、心を打つ。どもりな上に、願いが叶わぬ鬱積した表情が一気に変化する。この辺りは、多少芝居がかるが、観客はそのつもりで見ているから、見る側と演じる側の気持ちが、ぴたりと合い、心地よかった。

吉右衛門は又平、娘を嫁がせた菊之助が、女房おとく、師匠を歌六、奥さんを東蔵、錦之助の修理助、義太夫は、葵太夫、役者も揃い、素晴らしい舞台だった。

次は帯屋。藤十郎が長右衛門を演じた。初めて見た芝居である。奥さんもある帯屋の主人長右衛門が、隣の家の14歳も年下の娘お半とできて、子供が出来、お半は自殺を決意し、長右衛門も、玄関に置いて行った下駄を懐に抱え、心中する決意を胸に花道を下がる、と言う芝居。江戸時代当時の、事件をそのまま歌舞伎化したものだが、繁盛している店の、しかも奥さんのいる帯屋の主人が、お隣の、長洲屋の14歳の娘とでき、心中する筋だが、本当に、こんな話が合ったのかよと、疑ってしまう物語で、14歳の娘と、不義を働く、肝心の部分が、出てこないので、好奇心レベルの話モナク、ストーリーについて行けない。浮気ではなく、本気で、14歳の娘に惚れてしまって、女房を捨てて、心中するなんてを、今の時代では、とても分からない事だ。

藤十郎の長右衛門だが、ウケの芝居で、突出したところはない。最期、お半は、死を決意し、赤い下駄と書置きを残す。これは死ぬ気だと悟った長右衛門が、赤い下駄を懐に抱き、心中しようと、思いついて、花道を、よろよろと歩く姿は、憂いもあり、死ぬ覚悟もあり、14歳の娘と過ちを犯した申し訳なさもあり、複雑な心の内を、表情や身体一杯に出して歩く姿に、藤十郎の芸を観た感じがした。

吉弥の義理の母、おとせが、嫌みたっぷりでうまい。顔の作りが、酷過ぎると思った。染五郎の儀兵衛は、大阪の言葉が、板につかず、品性下劣な役は、それなりに演じてはいるが、にんがない役は、幸四郎襲名を来年の正月に控え,やる必要がないと思った。

最後が、猿之助の奴道成寺、3枚のお面を瞬時に変えて、踊りも一瞬で変える芸の鋭さに感心するし、面をつけた瞬間に、居丈高な男、ひょっとこ、おかめと、姿形が決まり、変化が付く、うまいね。ニ、三秒単位でこれでもかこれでもかと、面を替えて、観客を唸らせる、猿之助の、観客を睥睨する、得意な表情も見ものだった。俺の踊りをよく見ろ、と言わんばかりの、勢いだった。気持ち良く歌舞伎座を出た。