2016年11月25日(金)『国立劇場、仮名手本忠臣蔵11月、菊五郎勘平、由良之助吉右衛門で安定』
国立劇場の11月公演に行く。10月から、三か月連続の、仮名手本忠臣蔵の通しが行われているが、10月は、4段から7段までの上演だった。
先月に続いて観に行ったのだが、勘平が菊五郎、由良之助を吉右衛門が演じるので、キャスティングは、今日望める最善の役者が揃ったと思った。菊五郎の勘平が若く、吉右衛門の由良之助が堂々として、家老であり、同志を連ねて討ち入りを成功させた統領の大きさがでた。
最初の幕は、裏門に変わって最近は演じられる道行旅路の花聟。赤穂、浅野家。君主が江戸城で刃傷事件を起こし、殿様は切腹、藩は取り潰し、城は明け渡し、藩士は、全員解雇となった。この主家の大変動の折、近習として、殿のすぐ近くで働いていた勘平は、お軽と、逢引していて、現代に直せば、ラブホテルで、セックスに夢中になり、殿の大事に居合わせることができなかったのである。これは、近習失格どころか、間違いなく切腹ものである。勘平は、その場で、切腹すればいいものを、そうすれば武士の責任は取ったと仲間は思ってくれるだろうに、情事の相手お軽が、私の在所に行こうと、勘平を説得すると、お軽のふるさと、山城国、山崎に落ち延びる事を決める。男として情けないが、主君や主家への恩義、義理よりも、女への情を優先し、女の言葉に流される辺りが、おいおいと思うのだが、このあたりが、封建制度の中にあった江戸時代の庶民の気持ちに沿っていたからこそ、演じ続けられ、今に残った幕である。今の時代に生きる私でさえ、この不始末では、切腹は仕方がないと思うのだが、江戸時代の人が、「お家の大事は大事だけど、色事は、また違う尺度だよね」、と考えるのが、当時の庶民の共通の理解のようである。江戸時代には、主君への不始末は切腹いて死んで当たり前だと思っていたが、江戸時代の人間の、愛を優先する考え方に、新鮮な感じがした。こんなところに、建前と本音を分ける日本人の感性を感じる。
この前の段が、判官が切腹し、城明け渡しと、重い舞台が続いているので、ここは気分転換、思いっきり、美しい舞台にしようと、美しいお軽と勘平が舞う、道行の清元の浄瑠璃となったと思う。昼から,清元を聴くのは、不思議な感覚だが、舞台は中央に富士山、上手下手に桜の大木、その下には、菜の花が咲き揃っている。舞台が美しい上に、お軽、勘平も美しく装い、その上で、舞台上で、いちゃいちゃするのだから、甘い甘い道行である。現代から見ても、この二人には、責任感はないのか、二人の世界には入りこむなよ、一体何を考えているんだよと、思ってしまう。しかし江戸の人は、重い舞台から、美しい舞台への転換が、何より嬉しかったのだろう。ここは、現代的に、二人を断罪するより、江戸人になって、舞台上の美しさを、素直に味わうべきかもしれない。
菊之助がお軽、勘平は錦之助、二人とも綺麗だが、菊之助のお軽は、淡白すぎて、勘平を引きずり込んでいく、女の情念が薄いのではないかと思う。花形から主役級に成長した菊之助なのだから、ただ綺麗なだけではダメで、結婚して、子供もでき、将来天下の菊五郎となる菊之助としては、いかんせん淡白であった。でも、勘平は、美しいお軽に、引きずり込まれ、最終的に滅亡するのだから、徹底的に、お軽が美しくければ、それで、十分なのかもしれない。色に耽ったばっかりにという述懐が、後で出てくるが、美しい腰元だからの悲劇で、そういう言う点で評価すると、菊之助のお軽は100点満点である。
五段目、鉄砲渡しの場、二つ玉の場は、一通り。松緑の斧定九郎は、姿、形が美しくないので、失格。セリフは、「五十両」の一言だけなので、出の不気味さだけでなく、姿の美しさが欲しい所だが、松緑は顔が綺麗でないし、姿も美しくなく、インパクトに欠ける。撃たれて、舞台に倒れ、死んだ形が、美しくない。死ぬなら、もっと綺麗に死んでほしい。
六段目、勘平切腹の場。菊五郎の勘平が、やはりいい。作られず、自然に演じて、勘平の悲劇性が強まった。今日の勘平だ。猪と思って撃った鉄砲玉が、猪ではなく、人に当たり、その懐から50両でてきて、もらってしまう。家に戻ると、女房のお軽が、籠に乗り、家を出ていくところに出くわす。「お籠でもあるめえじゃなえか」とさりげなく入り、ここから一大悲劇が起こるのだが、柔らかく入って、その後の悲劇性が一段と、増すように思った。お軽を家に戻し、お才と女衒から、この間の事情を聴くのだが、討ち入りに参加するための資金、100両を捻出するため、義理の父は、娘のお軽を、郭に売る事を決意し、その交渉に行った父に、半金の五十両渡したが、その父は、まだ帰宅していない事が分かる。お才は、残りの50両を持ち、お軽を引き取りに来ていたのだ。お才が,残りの50両を渡そうとすると、お才の持つ、縦縞の財布が、死人から奪った財布と同じ柄なのに気が付く。煙管を落とし、懐に手を当てるだけなのだが、このあたりの、気が付き方が、上手い。わざとらしく、大きく驚くのではなく、しかも一瞬に恐怖に取りつかれた事が分かる。この瞬間から、勘平にとって恐ろしい展開となっていくのだ。勘平は、同じ柄の財布だったということで、心の中に、もしかして義理の父を撃ち殺して、その50両を奪ったのではという疑念が生まれる。勘平腹切りの場は、恐ろしい心理劇でもあったのだ。菊五郎は、この辺りを、自然な表情と、動きで、演技していた。義理の母、おかやは、徐々に、勘平に疑念を持つ。そんな折、義理の父が、漁師仲間に担がれて、死体となって運ばれてくる。ここで、勘平は、恐れていたことが、現実であった事を知る。おかやは、亭主が死んで運ばれてきた事と、勘平が持っていた財布が、お才の持っていた財布と同じ柄だと気が付き、勘平を、「義理の父を殺し、金を奪っただろう」と責める。その時、原郷右衛門と弥五郎が訪ねてくる。50両を返しに来たのだ。不忠を働いた金は受け取れないと、二人は拒絶する。申し開きをしようと、勘平は、切腹して、「色に耽ったばっかりに」と、述懐するが、ストーリーは、ここでは終わらない。次に大悲劇が展開する。このあたりの作劇術は素晴らしい。弥五郎が、死体の傷跡を調べたら、鉄砲玉ではなく、刀で刺された傷である事が分かる。道すがら、斧定九郎が、鉄砲玉で撃たれて死んだ姿を見たという発言もする。結局、義理の父を殺したのは斧定九郎で、その定九郎を鉄砲で撃って殺したのが、勘平だったことが分かる。弥五郎が、もっと早く傷口を調べれば、勘平は死ななくても済んだのに、勘平は、不忠の斧定九郎を殺しても、結局は、無駄死に終わってしまう。江戸時代、不忠を働いたものは、やはり死ななければならないのだ。「めでたしめでたし、お軽と、幸せな一生を過ごしました」、とは、ならないのだ。最後は、討ち入りの連判状に、血判を押し、息絶える。「色に耽ったばっかりに」、という言葉が、妙に耳に残る。色で人生を狂わせた人は、江戸時代だけでなく、今でもたくさんいるし、身近にもいる。
七段目は、一力茶屋の場、由良之助の吉右衛門は、春風駘蕩として、大きくて、素敵だ。何度も見た、吉右衛門の由良之助は、今日の由良之助だ。酔った風情と、きりっとした表情、怒りを見せる表情、それぞれの表情が決まる。平右衛門の又五郎と、お軽の雀右衛門が熱演して、舞台を引き立てていた。雀右衛門のお軽、勘平が死んだと聞いて、絶望した表情が、とても素敵だった。演技に満腹して、国立劇場を後にした。
0コメント