2015年10月25(日)『歌舞伎座夜の部、輝く玉三郎の阿古屋、真っ青な松緑の新三』


 

 歌舞伎座10月夜の部は、玉三郎の阿古屋と松緑の梅雨小袖昔八丈の通しだった。

 玉三郎の阿古屋は、現在女形で、この役ができるのは、玉三郎だけで、玉の独壇場である。今回も、定評のある阿古屋を、威風堂々と演じていて、玉三郎の美しさは、まだまだ陰りも見えないほどで、見事に、凛とした美しさだった。

阿古屋は、主人公の阿古屋が、琴、三味線、胡弓、三種類の楽器を、唄いながら弾くのが、眼目である。最初玉三郎の阿古屋を観た時には、たどたどしさもあったし、演奏が上手いとは思わなかったが、何回目かの今回は、3種の楽器を、それぞれを、巧みに弾いて、一緒に演奏していた義太夫の太三味線、長唄の三味線と、同列に近い達者ぶりであった。楽器を弾き終わった後、三段にもたれかかり、中央を見上げる、形の美しさは、まさに錦絵を見るようで抜群の美しさと、存在感があった。歌舞伎で、ああ、美しいな、美しさのために、お金を使ってもいいと思う時が、時折あるが、今日はまさに、入場料を払った以上の、美しさを見せてもらった。眼福というのだろう、満足度の高い、玉三郎の美しさであった。

 二つ目は、松緑初役の梅雨小袖昔八丈。江戸の小悪人新三を、松緑がどう演じるか、勘三郎、三津五郎亡き後、松緑が新三を継承することができるのか、注目して観た。演劇評論家の渡邊保さんは、劇評で、「松録の新三は合格」、と書いたのだが、私には、そうは思えず、不合格と思った。面白くなかったのである。

江戸っ子の小悪党、新三が主人公で、新三の演じ方も、江戸の粋な新三、悪の陰影のある新三、演じ方は色々あるだろうが、松緑の新三は、出から、いかにも悪人という顔の表情で、颯爽という感じはなく、全般に暗くて、明るい日差しが輝く、かつお売りが登場する初夏の雰囲気に、まず合わない。

松緑は、善人風に舞台に出てくるが、顔のつくりが、悪人めいて、忠七とお熊の会話を立ち聞きして、拐しを思いつき、一瞬悪の表情になり、下駄を鳴らして、ぐるっと回り、いま到着した事を表し、にこにこ顔の善人面で店に入って行くところがきかない。メイクも、松緑が、白塗りで、いかにも色男風に赤でラインを引いているが、似合わない。ということで、まず舞台の入りの段階で、興味が失せてしまった。綺麗な顔に生まれなかった松緑の不運である。不細工な顔を、メイクでなんとか、カバーしようとするから、失敗するのだ。

松緑の役者としてのイメージは、陰である。暗い雰囲気の役者である。出から暗く、悪党に見える。これでは善人から、永代橋の子悪党への切り替えが、うまくできない。メイクは、不細工な顔を精一杯、綺麗に作っているのに、最初の出で、眉を寄せてのいきなりの悪人面では、観客が戸惑ってしまう。勘三郎、三津五郎の悪をチラット見せながらも、善人で行く演じ方とは、違う演じ方があるのかもしれないが、島帰りの入れ墨もの、という悪党の面が前面に出すぎて、善人悪人善人の変化を楽しむこの芝居、心から楽しめない。始めから悪党で行くと、忠七が、警戒してしまい、新三に、のこのこ駆け落ちを手助けしてもらう気持ちにならないのではないかと思う。

梅枝は、お熊役で付き合う。瓜実顔で、美形、お姫様役者では、花形NO1であるが、町娘は、瓜実顔は、逆に似合わず、美しさを感じなかった。江戸時代の史実では、お熊は、婿を殺す様な娘というイメージで、明治6年に初演された、この芝居では、お熊のイメージは、生娘というイメージではなかっただろうから、梅枝では、気品がありすぎてイメージが遠くなる。

忠七は梅枝の親父の時蔵、親子で愛人カップルを演じたことになる。情があっていい忠七であったが、松緑の新三が、悪党過ぎて、白子屋見世先の場は、つまらなかった。ご馳走で、加賀谷藤兵衛に仁左衛門が出演、さわやかな雰囲気で、舞台開始を寿いだ。後家お常は秀太郎、色気を消しての演技が上手いし、娘を泣き落として結納を認めさせる、段取りと、娘への話し方が、うまかった。

続いて、永代橋川端の場、新三の内に秘めている悪の顔が一気に持ち上がる舞台だが、松緑の新三は、始めから悪人だから、この変化が楽しめない。私は、最初善人面して、雨の中、嵩に二人で相合傘をしながら、急に悪人に変わり、以後、ねちねちと、忠七に絡む勘三郎方式の方が好きである。雨の中、忠七を倒して、下駄で踏みつけての名セリフは、松緑の声が単調で、くぐもって聞こえずらいので、啖呵が聞かない。傘尽くしの、ここのセリフは、もっと、声を張って、音吐朗々と、啖呵を決めて言わないと、聴衆は、気持ちよくなれない。松緑のセリフ術は、総じて単調で、陶酔感に浸れない。いつもは髪結いで、お得意様の家家を訪ね歩いて、金を稼がしてもらう手前から、愛想笑いもするし、おべんちゃらも言う相手に、突然の悪の本性を出す小悪党なんだから、もっと、すかっと、嫌味さが強調された方がいいと思うが、松緑の新三は、第一幕の出から悪党になり切ってしまっているので、善人から悪人への、突然の大きな変化がきかず残念だった。

富吉町新三内の場、勝奴は亀寿、この勝奴は、しゃべりが暗く、新三より悪党っぽく見えて、芝居にはマイナスだ。勝奴はまだ悪に馴染めない、元気な青年のイメージが欲しい。ここは、新三と勝奴の、二人の関係が、謎だから面白い。江戸の下町で、補い合いながら、ひっそりと、楽しく暮らしている二人である。もしかしたら二人はできていて、同棲しているゲイカップルかもしれない。松緑と亀寿には、その雰囲気が感じられず、悪党二人が、なんで地味に一緒に暮らしているのか分からない。下町の初夏の清々しさをだす舞台のなので、二人の生活が、もっと楽しそうに見えないといけないと思う。ともに暗い二人の生活では、ホトトギスの鳴き声、カツオ売りの威勢のよさが効かない。

菊五郎が、魚売りでお付き合いする。拍手が起きたが、菊五郎は新三が持ち役、菊五郎が出てくるなら、新三で出ろよと思った観客が多かったのではないだろうか。でも菊五郎のかつお売りは、声が通らず、かつお売りの威勢の良さは、感じられなかった。

仁左衛門、菊五郎が、サービスで、出演して、松緑をバックアップしているのに、松緑は、単調さから抜けだせないでいた。生世話物は難しく、美男ではないので、このままだと役が限られてくる。押し戻しとか、仙台萩の荒獅子男助のような荒事位しか出番はないのではないか、生世話物は、喜怒哀楽をうまくだし、泣いて笑って、引いたり、突っ込んだりできないと、難しい。松緑には、愛嬌と、サービス精神がほしい。渡邊保は褒めまくっていたが、私は、松緑の新三は、もう見たくない。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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