令和4年1月7日(金) 「令和4年の初芝居」
あっという間に7日となり、正月は、急ぎ足で去っていった。例年の通りに、歌舞伎三昧で終わった。歌舞伎座の1部2部3部、国立劇場と見た、海老蔵の芝居「プぺル」は、13日に観劇予定だ。
吉右衛門、秀太郎が亡くなって、もういない初芝居である。歌舞伎座の三階の通路に、明治時代以降、亡くなった名優の写真を展示するコーナーがあるが、ここに秀太郎丈と吉右衛門丈の写真が加わった。慣れ親しんだ二人が、亡くなったのが本当の事だと実感する。特に吉右衛門丈は、去年の1月は、仮名手本忠臣蔵祇園一力茶屋の場に出演していた。私は、初日に見て、途中休演して、梅玉が大星の代役で出て、吉右衛門が再出演してから、再び見に行った。その時の正直な感想は、台詞に力がなく、何時もの力強い視線が感じられず、余裕も感じられず、何より吉右衛門に気力が感じられず、吉右衛門の健康状態が、心に強く残り、大不安になり帰宅した記憶がある。去年3月に、楼門五三桐に出演して、やけに足が細いと感じ、体調を非常に心配したが、途中で休演し、それ以降、吉右衛門の情報が、メディアに全く上がらず、時間だけが過ぎていった。11月28日、突如逝去の報を聞き、ショックを受けたが、死亡記事を読むと、3月末、食事中に倒れ、そのまま意識が戻ることなく、11月28日に亡くなった、と書かれていた。吉右衛門は、歌舞伎の中心人物というか、屋台骨を支えていた役者だった。ご冥福を祈りたい。もう30年以上吉右衛門の歌舞伎を見ているだけに、今年の演目なら、1部の一條大蔵物語に出演し、大蔵卿を、愛嬌たっぷりに演じた事だろう。今回は勘九郎が務めたが、時代は変る、東京では、玉三郎を見られず、仁左衛門、松本白鸚はお休みである。歌舞伎は世代交代の時代を迎えたと思った。
今年の歌舞伎座の1月興行は、1部を勘九郎、二部を幸四郎、三部を猿之助に座頭を任せた。完全に世代交代を松竹が計画した番組が並んだ。勘九郎の大蔵卿は、愛嬌があり、本物の馬鹿貴族に見えて、大変結構だった。へらへらと口を曲げて笑う姿と、きりっとした本心の顔の差が大きく、素敵だなと思った。幸四郎の盧生の夢は、幸四郎は、健闘したが、さすが喜劇は、相手がいないと成り立たないという事が実証された。幸四郎は、時代物に挑むべきである。幸四郎は、自分でいい顔を持っていると思っているから、三枚目になりきれないのだろう。どこか断ち切れなさを感じる。
猿之助の四の切は、4年振り。大怪我をして、大丈夫なのか、内心心配したが、見た目には、全く感じさせない演技だった。愛嬌が迸り、役者の熱演のエネルギーが客に伝わってくる。狐の演技は秀逸で、特に鼓を渡された時の嬉しさの表現が、真に嬉しそうで、心を打った。猿之助の目の演技、表情の演技、体の機能をフル回転させた、例えばジャンプ力の高さ、ずっと動き回るエネルギッシュさ、いま一番油が乗っている役者だと思った。3部に私の贔屓役者尾上松也が岩戸の景清に出演した。立派な景清だったと思う。
歌舞伎新時代、勘九郎、幸四郎、猿之助、そして松也、この4人を中心に、番組を組んだのも、松竹の意思だと思う。完全に世代交代である。
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